【bochi】悪狗陀 狸人さんの一般公開遺書アーカイブ https://bochi.in/person.php?p=4 悪狗陀 狸人さんが人生まとめサイト【bochi】で一般公開に設定されている遺書の一覧です。 ja 戦後リテラシー https://bochi.in/isho.php?d=1024 Wed, 13 May 2015 00:44:51 +0900 悪狗陀 狸人 それを見たこちらが飽きれてしまうのだけど、彼らにしてみれば「関係ないことらしい」。

説教してやろうと喉元まで言葉が出かかったが、どうやら頭の禿げた伯父の話を素直に聴ける時期は過ぎてしまったみたいだ。とても残念に思った。

自分に関係ないモノコトなど、ひとつとしてない。東洋思想のなかで生きるようになった今では、強くそう思うようになった。いやいや、アメリカ大陸の先住民だって『ローリングサンダー』のなかには、カメムシを木の棒でつついたら突然の雨が来る、なんて話もある。

そこで、戦後リテラシーの話である。
安保、原発(核発電所ね、春樹流)、沖縄。

若い世代の人々はどう思ってるのだろう。
やべえ。やべえぞ。この流れでホントにいいの?いいんならいいけど、そんなに覚悟あるの??
頭の禿げた東洋思想を持つオヤジの説教は届くのだろうか?

本を読んでみた。内田樹著『街場の戦争論』。
内田氏や池澤夏樹氏が朝日新聞のコラムのなかで、いわゆるリベラルの知性主義者たちが「アメリカ属国論」を声高にいいはじめた。
ポツダム宣言、サンフランシスコ条約、の枠組みの世界のなかに、戦後日本が在る。
安保や沖縄の問題と日米地位協定、の関連性。原発がなくならないことと、日米原子力協定のこと。憲法よりも協定は優先する「属国」の性。国民だけでなく、中枢も「奴隷市場」の住人だ。
駅前で浜岡原発の廃炉署名をしていた70代左巻きの人たちは、本当に憲法9条がこの国の平和を守ってくれていると信じて疑わない。本気で信じてる。お上に声が届けば政策が変わると、脳天気なう、なのだ。リアルじゃない。

そしたら、どうすればいいのか。生き残った人たちの声を聞いてみよう、と思った。
坂井三郎、という零戦の名手だった飛行機乗りと航空学者の対談『零戦の秘術』。これは戦争の本ではなく、「術」を語った本だと思う。「術」とは、肉体というハードを持ったこの世できちんと生きるためのカタチ、仕様だ。
「属国」というのはある意味、楽チンだ。自分たちで考えて行動しなくても、アチラからそれとなく指令がやって来る。アチラのシマを荒さなけば、分け前も適当にくれる。
「属国」でなくなる、というのは自分で考えて判断して行動することだ。怖いでしょ?不安でしょ?周りは敵だらけかもしれない。だから生きる「術」が必要なんだと思う。そして、この国にはその「術」がある時期までは確かにあったのでR。司馬遼太郎は日露戦争までといい、内田先生の本では、ギリギリ、ミッドウエー海戦まで(ワタシの曲解)、だと書いてあった。内田先生は、戦後、手塚マンガや黒澤フィルムには受け継がれた、としている。そういうのは氏の真骨頂。

もう1冊。生き残った海軍のインテリゲンチャの対談。『特効体験と戦後』。東大から学徒で戦艦大和へ乗り込み生き残った、吉田満氏とおなじみ『死の棘』の島尾隊長の対談。
これ読んだら戦争なんてとんでもない、たとえどんな理由があったとしても、と思わされる。というか、思った。つらい。苦しい。悲しい。二次元の戦闘と違うぞ。まったく違うぞ。

ま、ま、ま、ま、ま。
「やられたやりかえす」「やるときはやるぜ」という信条も持っているので、戦いを全否定してガンジーの境地には至れない49歳ですが、できるだけ争いはしたくない。する状況にいたくない。そこからは逃げたい。武術をなんで学ぶかという理由の一つは、いかにして戦わないかということを学ぶことだ。アンチテーゼ。戦うことを学ぶことは、戦わないことを学ぶことだ。

さて、そろそろ話をしめなければ。
でも話がどんどん拡がってしまう。

6月にパリに行きます。ヨーロッパで考えてこよう、と。]]>
ほんとうのこと https://bochi.in/isho.php?d=1017 Thu, 27 Feb 2014 13:19:23 +0900 悪狗陀 狸人 「奴隷市場」というトーキングアートのユニットをやってみようと、
長良川の鵜飼いの船で話したのが去年の初夏。

なんとなく魅かれるフレーズだったけど、
いま、彼の言う「奴隷」のニュアンスがリアルな現実になってきた。

「奴隷」とは、三角貿易でアフリカの奴隷海岸から連れて来られた
ロイクな人たちの様なことでない。
「奴隷」であることを認識しないでプチハッピーに生活し、
世界に対してひとかけらの疑問も持たずに死んでゆく
彼らを指すのでは、と僕は思っている。

たとえば、昨年の食品の偽装メニュー事件。
「奴隷」は偽装と知らず、美味い美味いと食べていれば
プチハッピーなのでR。
ほんとうのことを知ってしまったが故の、
「騙された!」なのでR。

たとえば、偽ベートーベン事件。
彼が聾啞で、被爆2性で、長髪でサングラスをかけて、杖をついて、
黒い小ギレイな服を着ている、
という偽りの「物語」を信じている人にとっては、
ゴーストライター作品を聴いてプチハッピーなのでR。
ほんとうのことを知ってしまったが故の、
「騙された!」なのでR。

人の為と書いて「偽(り)」と読む。
と僕の脳内師匠は教えてくれた。
偽りは、常にいいひとな美談を伴う。
「ほんとうのことを知りたいだけ〜」、
「ほんとの真実がつかめるまでキャリーノン!」と
80年代のヒップスターは歌った。
なるほど、僕も「ほんとうのこと」を知りたいと思い
いままで生きている。
しかし、「ほんとうのこと」を知らなくてもいい
「奴隷」も世界には多勢いる。

偽ベートーベン事件の直後、ゴーストライター氏について
マスコミと違う論をツイッターやネットで公開した人の1人に、
伊東乾氏(イトケンシュタイン)という東大物理出身の音楽家がいた。
彼の書く「ほんとうのこと」には読んでとても納得した。

ところで、偽ベートーベン事件とオウム真理教事件には、
少なからぬ共通項があるなぁ、と思っていたら、
前述の伊東乾氏は、
オウムの豊田被告と東大物理のクラスメートだったそうで、
彼の著作に『さよなら、ネイビーブルー』という
オウム関連本があった。

なぜ、東大物理の頭脳を持った豊田が
偽りの宗教に引かれていったのか、とてもよく書かれている本だ。
彼は「ほんとうのこと」を求めて偽りの世界にいってしまったのでR。

金八先生世代の受験戦争戦士の我々は、中学の頃、
「なぜ勉強するの?」という命題を大人に投げかけた。
校舎の窓ガラスも割った。バイクも盗んだ。自動販売機の
缶コーヒーは100円玉で買えた。(笑)
その答えは大人達からは返って来なかった。

僕は思う。
その答えは「生き抜く」為でR。
勉強しないと偽りの世界に住んでしまう。
何度も言うけど「ほんとうのこと」が知りたいのだ。

という訳で、いまは素粒子のはなし
『小さな宇宙をつくる』という本を読んでます。(笑)


*写真の解説
「なにわのベートーベン」の髪の毛は「偽」です。]]>
私見!浜松ノロの裏側 https://bochi.in/isho.php?d=1009 Mon, 20 Jan 2014 22:22:40 +0900 悪狗陀 狸人
というのは、昨年から浜松の高齢者の間で、
特に複数の介護施設でノロ流行がありますたし。

たとえば12月初旬、うちの患者さんの1人(74歳女性)、
昨晩ひどい下痢をしたと来院。
ノロではないかと推測し治療してたら、
そしたら、施術中におう吐。
その後、医療機関でクロ(´Д`)。

ですから、保健所がノロ情報を吸い上げていれば
市民に注意喚起できたし。
(もし流行ありを知らなかったらアウトだけど)

まあまあ、ウチのような弱小治療院にまで
ノロ情報入ってきたから、いはんや病院をや、だけど。
(鍼灸院って意外に地域の医療情報入ってきますよね)

だから、保健行政ガバナンス、
例えば保健所と医療機関の情報共有情報公開、
そんなとこにも今回のノロ原因があると思うのです。

今日もこんな話を聴きました。
浜松市内、某セフンイレフン某店。
コンビニバイトの家族にノロ患者いても
シフト優先で休ませず、ノーチェックだそうで。
さすがに同僚バイトが機転きかせ、オーナーに進言。

衛生リテラシーを持とうよ!
保健所もっとアナウンスしてね!]]>
父の末期がん記録〜スタンダード〜 https://bochi.in/isho.php?d=976 Wed, 27 Feb 2013 16:03:02 +0900 悪狗陀 狸人 二年前の記録を公表することにしました。
もちろん、個人差のある出来事なので
何が正しいかなんてわかりはしないけど、
しかし情報を開示していくのは
限定医療行為従事者としては必要だと考えた次第。

* この記録は2010秋〜2011春までの期間の出来事で、
がんに対する考え方、などは当時のママであります。


『父からの答え』

 掛川に往診するため、車で天竜川を渡っている時だった。急に胸が絞めつけられるような感じがして、ああ父が亡くなったのだな、と思った。三月の乾いた空は突き抜けるように青く、小さな白い雲が低く浮いていた。母からの携帯電話の着信がその事実を伝えた。
 僕は鍼灸師である。東京の大学を卒業できずプラプラしていて、カラダを壊したのをきっかけに資格を取った。長男だったので四十路を過ぎて田舎へ帰って、治療院を開いた。三年経って、父が病いを患った。
 
 これから書こうとすることは、至極個人的な記録だ。これを書くことがどんな意味を持つかはまだわからないけど、末期がんの父が「身」を持って僕に教えてくれたことを記そうと思う。もちろん、病態病状には個人差があるのはわかっているし、現代医学とは的ハズレのことを言うかもしれない。しかし、こういう往き方もあったんだ、ということを伝えなければ、と思ったのだ。

一、がんは悪い病気なのか?

 父のがんが見つかったのは、去年の六月。胆管狭窄で発熱した父が入院していた医療センターで、主治医に呼び出された。「十二指腸ファーター乳頭がん、ステージⅣ、余命三ヶ月です」

 さて、どうしようか、と僕は悩んだ。父は元々気が弱い性格だったが、老いてより神経質で過敏になり、取り越し苦労で母を困らせるようになっていた。とりあえず直接伝えるのは止め、母と弟と家族会議をした。選んだ結論は「告知なし、すなわち抗がん剤なし」だった。というのは、僕が近藤誠先生のがんに関する著作本を拝読していたことや、神奈川に住む弟が、父とこれから看病する僕らのことを考え「自然のママでいいよ」と後押してくれたことに因る。末期がん、しかも肝転移が認められるであろう類のがんに対して、わずか一ヶ月の延命、しかも副作用がある抗がん剤が果たして有効であるかは、自分なりに答えは出ていた。告知した場合の父の精神的混乱を想像するに、彼が抗がん剤投与の選択を冷静にできるとは僕には思えなかった。この家族のわがままな意思を最終的には尊重してくれた、主治医のH先生には今でも感謝している。
 
 考えようによっては、がんは悪い病気ではないかもしれない。事故や心筋梗塞などの突発的な病気とは違って、死までの緩やかな道程が予想できるからだ。本人にも家族にも、最期に向かっての準備する時間の猶予がある。
 「抗がん剤をやらない場合はどうなりますか?」という僕の問い掛けに、「坂道をゆっくり下るように、木が枯れるように往くのだと思います」と、セカンドオピニオンを伺いに行った藤沢のR先生は答えてくれた。そう遠くないところに死が待っているということは、僕はわかっていた。

二、生命の来るところ

 それから四ヶ月。余命宣告をされた三ヶ月を過ぎた晩秋の日曜の夕方、父は自宅で大量に吐血した。食道大静脈破裂だ。合併症として予想されたことだったが、救急車を呼ぶ母はいささか混乱していた。救急医のおかげで止血が成功し、父は一命を取り留めた。医療が発達していなかった一昔前なら、これでジ・エンド、だったと思う。
 
 入院中はほぼ毎日、病院へ行った。H先生が許可してくれたので、病室のベッドでお腹の水を散らす為の鍼灸治療をすることもできた。吐血後三日ほど経つと、腹水が溜ってきた。お腹がみるみる膨れてゆく。水はお腹で留まっていたが、これが足にも溜っていくと死期が近いことを意味する。もうこちらに戻っては来れない。
「そろそろ、でしょうか?」
「年越し、できないかもしれませんね…」と先生は言った。
 ところが、輸血、酸素の補気補血により父は少しだけ元気を取り戻した。年末には退院、自宅で年越しをした。まるで再びスイッチが入って電気が通じたみたいだった。床屋も行った、出前のラーメンも食べた。
 
 その時、僕は感じた。生命はどんなに文明が発達したって科学でわかるモノではなくって、カミのみぞ知る領域なんだと。自己治癒力という言葉があるけど、自分の内にそんな力があるわけではなくって、あっちの方からやって来るのではないかと。それをキャッチするのではないかと。まさに、仏教でいうところの虚空菩薩の教えみたいだ。すべては虚空からやって来て虚空へ還る。
 
三、最期の顔

 一月に入ってすぐ、悪寒戦慄で発熱し再び入院。しかし、寝たきりにはならず車椅子を使って自分で用を足し、病院の食事もとった。
 鍼灸師としての僕の希望は、肉体的な痛みなく最期を迎えてもらうことだった。腹水をステンレスより金の鍼でなんとか捌きつつ、それでもパンパンに膨れた足を診て「人は末端から死んでゆく」という師の教えを思い出した。

 「オレはそんなに悪い病気なのか?」と父は僕のいない時に、叔母に訊いた。僕に訊いたら本当のことを言われてしまうと、父は怖れたに違いない。父にはそういうところがあった。その頃には、自分なりに感づいていたのだ。
 痛みがやってきても、座薬でなんとか凌げた。痛いところには細い鍼を打った。この痛みはおそらく自律神経症状だったと思う。死への本能的な不安や怖れからくるものだろう。
 
 最期の一週間、下血をしてごはんが喉を通らなくなり、父は喋るのも面倒になった。ほとんど目も閉じたままだ。動かない。口渇が出てきて口を大きな綿棒で濡らす。タオルを置いてカラダが緩むようにベッドをセットした。鍼灸治療をしても使えるツボが少なくなってきた。もうおへその下の方までダメになってきた。使えるツボは何処だ。頭にお灸をした。
 酸素と点滴で命をなんとか繋いでいたある日、二人きりの病室で僕は父に話をした。最後に言いたかったことを話した。父は目を閉じたままで、その表情からは反応はわからなかったけど、確かに聴こえていたと思う。
 
 父があの世に旅立ったのは三月二日。余命宣告されてから八ヶ月。いちばん仲の良かった幼なじみの友人が見舞ってくれたすぐ後、往った。もちろん呼吸困難はあったけど、ほとんど痛みなく清々しい最期だった。息を引き取った父は、穏やかに微笑んでいるように見えた。
 僕は自問自答した。三月の乾いた空気を肺に吸い込み、ゆっくり吐き出す。これで本当に良かったのだろうか?自分はきちんと父を送ることができたのだろうか?
 父の死に顔の微笑みが、僕にその問いの答えを教えてくれたような気がしてならないのだ。
(「浜松市民文芸」第57集 市民文芸賞随筆部門受賞作を掲載)]]>
夏の旅、おまけのおまけ https://bochi.in/isho.php?d=953 Fri, 31 Aug 2012 03:51:23 +0900 悪狗陀 狸人 「庵野秀明 特撮博物館」
http://www.ntv.co.jp/tokusatsu/about.html

鍼灸の勉強会の前の時間を利用して行ってきました。
感想は「なーんも言えねぇ」(笑)くらいおもしろく、
かつ職人芸の光る展示でした。
すべてCGになっちゃうと、こういう技術もまた
失伝しちゃうんだなぁ、と思いました。

とくにオール特撮、ノーCGの短編映画
「巨神兵東京に現わる」は圧巻でした。
ぜんぶ実写だと思うと「なーんも言えねぇ」(笑)。

9分くらいの短編でしたが、
これが2時間続いても飽きないくらいのクオリティの高さ。
つうかカタストロフィー。
これを観るだけチケット代1400円の価値ありです。
昔住んでいた南阿佐ヶ谷駅近くの見知ったビル
(もちろんミニチュア)
が爆破破壊されてました。

3.11以降、爆破破壊はよりリアルに感じられます。
平穏な生活が永遠だなんて集団幻想だし、
いつ何が起こるかなんて本当はわからないのだけど、
それがよりリアルに感じられるようになったと思います。

やはり特撮、ヒーロー、戦隊モノは日本の文化ですね。
ああ、でも失伝していくのかしらん。
ぜひとも自衛隊が受け継いで欲しいものです。]]>
夏の旅、のおまけ https://bochi.in/isho.php?d=952 Thu, 30 Aug 2012 23:54:20 +0900 悪狗陀 狸人 いいのまちUFOふれあい館(ある意味「パラダイス」)
http://ufo.iino-town.net/

津波の爪痕、被災地、
福島第一原発の重たい空気を引きずったまま、
東北自動車道へ向かう。

するとその途中、道路標識の横に怪しげな看板がっ!
「UFOの里」とか、「飯野町UFOふれあい館」とある!!
標識があるにもかかわらず、
カーナビがあるにもかかわらず、
迷いに迷いながら僕らは円錐形の山を目指した。

行かない理由にはひとつもない(笑)。
そこに「UFOふれあい館」があるからだ。(爆)

しかし、なぜ福島の山あいの町にUFOなのか?
説明しよう!
(ていうか「UFOふれあい館」の
3Dシアターで説明してくれた)

まず、成り立ちから。
「UFOふれあい館」は竹下登ふるさと創生1億円事業
で建てられたのだが、
もともと農作業をするお年寄りのUFO目撃談が多く、
加えて厠も家の外にあるので、夜に用を足しに行くとき
ふと空を見あげるとUFOが!!
なんて話がいっぱいだそうで。
「一億円ナニしようか?」「UFOだろ〜」って訳。
で、「UFOふれあい館」が建てられ、
その2階にはなぜか大浴場と宴会場が(笑)、ある。

そして、なぜ彼の地にUFO目撃談が多いのか?
*ここからは非科学とオカルトと
『ムー』の世界になるのでご了承ください。
(余談だが、この「UFOふれあい館」には
雑誌『ムー』が創刊号から全巻揃っていた!
だけでなくトンデモ本の類いがかなり揃っている)

「UFOふれあい館」の在る山は、
千貫森(せんがんもり)、別名「峠山」とも呼ばれ
標高462.5mの美しい円錐の形をしている。

綺麗な円錐形(ピラミッドと相似)
の山にUFOが現れやすいというオカルト定説がある。
富士山や、
長野松代の皆神山(筆者体験済み、ここはトンデモ!だった)
などが円錐形のトンデモ学説に基づいている。

つぎに「磁場」のこと。(出たぁー!!って感じですが)
千貫森周辺は磁石が方位を示さず、
クルクルと回ってしまう「磁場」のおかしな場所。
これもUFOが現れやすいというトンデモ学説の根拠となっていた!
* 0磁場として一時期有名になった
「分杭峠」などが不思議「磁場」の場所として有名。
筆者も体験済(失笑)。

最後に山に点在する謎の巨石群、
これも磁場パワーのトンデモ学説を強く裏付けてる根拠(?)
となっており、
これらが爺さん婆さんの多くの目撃談とあいまって、
「飯野町=UFOの里」という文脈ができあがった。
すばらしい!いや、なんという1億円の使い方だ!!

2階にあるステンレスのUFO風呂に
売店で買ったUFOタオルを手に
数名のサブカル仲間と浸かりながら、「いやぁ〜来てよかった」
とみんなで無言のうなづき。
窓から一望する絶景、千貫森の緑と青空に、
福島の奥深さを感じたりした。

「ここ泊まれるのかな?」
「泊まりこんで『ムー』読破したいね」
なんて裸で妄想の世界に遊んでいたら、
そろそろ閉館時間なので風呂を洗いにきた
第三セクターの公社の若者が、
「原発やら除染やらの仕事の方が
ここらへんの民宿に泊まっているので、
福島市中心部のビジネスに泊まったほうがいいッスね」と
いきなりリアルに戻された。]]>
1年後の夏の旅 https://bochi.in/isho.php?d=951 Thu, 30 Aug 2012 14:13:14 +0900 悪狗陀 狸人
「福島クダラナ庄助祭り」
http://www.pj-fukushima.jp/festival/201208post-70.php
に参加後、
知人数名と福島市中心部から山の中の飯館村、海側の南相馬、
そして南下して
国道6号線の立ち折り禁止区域北端まで車を走らす。

飯館村はひどい有様だった。
人気(ひとけ)がないっていうのはこういうことを言うんだな、
と思った。
原発の爆発以前には水田だったところは、
(線量が高く耕作できないので)草茫茫の荒れ地。
道の脇、ところどころにある家は雨戸が閉められたまま。
なにかの施設のグランドだろうか、
除染した土を入れたバカでかい黒い容器が
カフカ的な整然さで並べられている。

南相馬の街におりると、打って変わって普通の街になる。
道の駅では地元の人たちがレストランで飯を食べている。
ところが、国道6号線を少し南へくだった
小高川を越えたあたりで空気がガラリと変わる。

まるで線で引かれたかのように
小高川を境に北と南で、生きている町と死んでいる町に
分かれているように見えた。

国道より海沿いの方に入ってみる。
何も無い。ほぼ何も無い。
草だけが生えている。
ところどころに流されないで残った民家がある。
近くに寄ってみると窓や戸はなく、いささか傾いているようだ。

太平洋に出た。
低い防波堤の上に立って南の方を眺める。
1Fのある方角だ。
国道6号線はここから数キロ先で立ち入り禁止区域となる。
海沿いの地域は南北に分断され、
相馬からいわき市には抜けられない。
立ち入れるのは許可車だけ。
これから何年、いや何十年この状況が続くのだろうか。
パトカーの赤灯がリアルな感じを増す。

去年、ボランティアで東北へ行った人たちがよく言っていた。
「行ってみないとわからないよ」
高校の同期の制服組の彼も話していた。
「いやあ、悲惨だった、大変だった」

あれから1年後の夏、
僕は小高川河口に立ってみた。
家がない。人がいない。荒地に草が雑に生えている。
ここで道は途切れていた。]]>
県民劇団終わりました。 https://bochi.in/isho.php?d=934 Wed, 06 Jun 2012 12:54:20 +0900 悪狗陀 狸人
短い期間ではありますが、
アマチュアの参加メンバーと
稽古で楽しい時間空間を共有できたことに感謝しています。
ありがとうございました。

解散の原因は制作予算のことです。

もともと、県民劇団育成事業について
SPAC側、演出の和久田、参加メンバーの間で
思い違い、ボタンの掛け違いがあり
それに気づいた段階で僕が修正をはかろうとしたのですが、
文化行政の壁、
お金の問題にぶちあたってしまったわけです。

もともとこのプロジェクト自体に
構造的な無理があったことは否めないし、
主催SPAC担当者の演劇制作に対する知識レベルも低く
一緒にモノをつくるレベルではありませんでした。

いずれにしても、昨年度までの県民劇団事業の
問題を解決していない、
担当者間の引き継ぎがきちんとなされていない、
お金の問題をプレゼン時にきちんと開示していない、
など、SPAC側にも問題はあったんだという認識でいます。

さて、稽古の総括もしておきたいので以下に記します。
今後の演劇活動の参加になればと思います。
もともと、東京の小劇場などで
演劇的な活動(演者、作家、演出)をしていたのですが、
30代後半に鍼灸のライセンスを取ってから
また違ったカラダの見方ができるようになり、
今回の稽古方法もそれを加味したモノになりました。

簡単に言えば、若い頃に比べて稽古の狙い、方法が
自分の中で変化してたことに気づいた訳です。

たとえば、「立つ」という稽古。
無対象で「食べる」という稽古。
この二つは動物として生きる為の根源的な行為
「個体維持」であります。
そして、老人の初恋モノローグエチュード。
「恋」は動物としての「系統維持」のために人間に与えられた
ファンタジー(妄想)であります。
原初人間に備わっているところ、をつつくのは
演劇的な稽古の基本だと思います。

稽古内容

□ 「立つ」「歩く」「みんなで立つ、歩く」
非日常空間で立つ、これができればすべてオーケー
なんですが、これができない。
日常生活で立つことに意識が向いてないから。

□ 「ジョンとジョー」
今は亡きアゴタクリスロフの台本。
台詞のキャッチボールができるかどうか。
意外にできない人が多かった。これも基本。
人の話を聴いて、それに反応する、これができない。
自分勝手な言い方、人の話を聴かないって人が多い。

□ 絶叫!
息を全て吐ききるまで自分の中のモノを出せるか、
これも我慢できずに途中やめする人が多かった。
高校生のNちゃんはうまくできたが、その後
カラダに起こる変化で(無意識に)泣き出してしまった。

□ ポチ
言っていい台詞は「ポチ」だけ。
家に帰って来たらポチがいない。
さあ、どうする?というエチュード。

□ 背中合わせて二人で立つ
拮抗する力の共同作業。よくワークショプでやるやつ。
省略。

□ シニアの初恋エチュード〜恋の歌独唱
70代後半のお婆さん達に初恋の話をしてもらい、
初恋の人の名前を呼び、恋の歌を歌う。
なんだか良かった。

□ 最後の晩餐(無対象)
明日、死ぬかもしれない、という状況設定で
最後の夜に何を食べるか、どう食べるか、
というエチュード。
お婆さん達も、高校生もよくできた。
「喰う」というのはその人が見える。

□ 悪のエチュード「コンビニ強盗」
悪いことをやってみな、と国立大の演劇部の学生に。
コンビニに押し掛けて自分が「悪」だと思うことを
やるエチュード。これ、学生さんはできない。
「悪」ができない。

□ 梅干しフリーク
昔、小劇場でやったネタ。すっぱい梅干しを持ち寄り、
自慢してからみんなで食べる。
「すっぺえなあ、こりゃ〜!」って叫ぶ。
無対象ですっぱい表現をする。

□ うなぎでてこい
うなぎを探す。これも無対象、
台詞は「うなぎでてこい」だけ。
カラダの動きのおもしろさが必要。

□ タルコフスキーの鏡
これもよくやる稽古、合わせ鏡。
人の動きをきちんと観ることができるか、という。
あと、そこからのずらし。

□ 戦争は悲しいね〜「この道」合唱
上演予定だった台本の背景に核戦争の世界があって、
戦争体験のない若者(もちろん、僕も)に
お婆さんが台湾での戦争体験、引き揚げ体験を語る。
お婆さんは音楽の先生だったので、
指揮をしてもらって「この道」の合唱。
引き揚げ船での夜の水葬の汽笛の音、三発。
聴こえた気がした。

□ 効果音で感情表現
メロディオンでプラスの感情、マイナスの感情を
音で表現し、それに合わせてエチュードをする。

□ 『私の青空!』本読み
解散を決定したその日の稽古で、
上演予定だった台本をみんなで読む。
劇団のお葬式。
この台本は名古屋が生んだ天才劇作家、
北村想の作。
最近の小劇場の人たちは北村氏のことを
知らなくなったけど、語り継ぎたい名作。
いまでも上演したかったと悔やまれます。

非常におもしろい稽古だったし、
真摯に向かってきてくれた方には
心から感謝したいと思います。
どうもありがとうございました。
ほしぞら☆サーカスは解散ですが、
それぞれの演劇は続きます。
またどこかで会える日を楽しみに。さようなら。]]>
ヨブ久 https://bochi.in/isho.php?d=904 Wed, 01 Feb 2012 14:45:06 +0900 悪狗陀 狸人 ポップカルチャーの目利き、
エディター川勝正幸氏が亡くなったのをツイッターで知った日、
立川談志追悼上映会では、談笑が『富久』を演っていた。

『富久』は富くじを買った太鼓持ち、久蔵の物語で
噺をまわす重要な要素のひとつに江戸の火事が出てくる。
しかし、まさか川勝さんが火事で亡くなるなんて一体誰が想像しただろうか。

「人は簡単には死なない、
が、また生き物は理不尽に死んでゆくのものでR」
というのが我が師の教えであるが、
人生も半分を過ぎると、いささかこの言葉に感じることが多い。

死は誰のもとにも等しくやってくる、と思う。
ゆっくり歩んでくる時もあれば、
突然あらわれる時もあるだろう。

最近、観た映画の話だけど、
映画『エンディングノート』で家族に看取られて逝く
末期がんの砂田サンのお父さんにも、
映画『監督失格』で突然死したAV女優、林由美香嬢にも、
死は等しく存在する。
この2作品は、並べて観ると興味深い。

どちらの死が幸せだったかとか、残酷だったかとか、
人は勝手な生き物だから人の死についてあれこれ言ったりする。
死は至極プライベートなことで、
まったく主観的なことだと思う。


またまた映画の話で恐縮だが、
コーエン兄弟の映画『シリアスマン』(2009)の冒頭には、
ユダヤ教の聖書学者のこんな言葉が出てくる。

「身に降りかかること全てをありのままに受け入れよ」。

『シリアスマン』の背景には、
旧約聖書の「ヨブ記」の物語があるそうだ。
敬虔なユダヤ教徒が実人生でヒドいめに遭っていく、
ただそれだけのストーリー。
高僧になぜだか尋ねても、誰も何も答えてはくれない。

「ヨブ記」のヨブ、主とサタンに翻弄される。
主はヨブを徒らに試してボロボロにしておいて、
最後には施しを与える。
まあまあ、誤解を怖れず申し上げるなら
「主」なんてそんなモノかもしれない。

談笑流『富久』も仕事をクビになったり、
火事にあったり、当たってるはずの富くじを失くしたり、
ヒドいめに遭う。

それでも「身に降りかかること全てをありのままに受け入れよ」
というのか?

『富久』の噺にもどろう。
談笑流『富久』のサゲは一風変わっている。
果たして、千両の富くじが当たった久蔵はこう言う。
「いえ、大神宮様の罰(バチ)が当たったんです。
私は幇間(たいこ)持ちですよ。
バチが当たればいい音(値)が出ます」

談笑師匠のサゲはとってもカッコいいと思った。
久蔵は太鼓持ちのまま。
ヨブはヨブのまま。
ヨブも久蔵も同じ。「ヨブ久」ってことじゃん。

古典は西洋も東洋も、結局言ってることは同じだった!
ってことですよね?]]>
死は誰にも等しく https://bochi.in/isho.php?d=902 Sat, 14 Jan 2012 02:16:04 +0900 悪狗陀 狸人
あまりにも有名な一休サンの句ですが、
正月に死を考えるのは一興かな、と思いまして。

さて、私の演劇の師匠であるN氏に年末お会いして
鮭定食食べてたら、突然「遺書書いたんだよね」と。
「おまえ、オレが死んだら知らせて欲しい?」と。
葬式もしなければ戒名もいらない、それでもって
近親者にしか死の知らせもしないと仰る。
ていうかピンピンしてるじゃないですか、
そりゃ去年の今頃はN氏、三途の川の手前で彷徨ってましたが。

その師匠が、ときどきオススメの映画を教えてくれるんですが、
そのなかに「これオレの中では対になってるんだよね」と
言ってすすめてくれたのが、
『監督失格』と『エンディングノート』でした。

http://www.ending-note.com/
http://k-shikkaku.com/

『監督失格』はロードショーになってたので
昨秋に観たのですが、
「田舎ぢゃやってねえだろ」と言われた『エンディングノート』、
正月明けに当地の単館上映館でやっとこさ観る機会があり。

私は昨年、春にがんの父を亡くし
夏に大学時代の友人を自死で喪いました。
彼らの死について、
自分の内でまだきちんと整理がつかないままでいます。

ただ思うことは、死は誰にでも等しく訪れるということ。
映画のなかの
林由美香嬢の死も、砂田さんのお父さんの死も
観ている私にとっては等しく感じました。

世間はいろいろ言うでしょう。
無念の死だとか、家族に看取られて幸せな最期でした、とか。
周りの人はいろいろ言うでしょう。
いろいろ言うのが人ってもんです、
勝手に言わせておきましょう。

死は現象が無くなるだけだと思うのです。
本質が後に残れば良いのです。
それを遺った人が感じて生きてゆけばいいのだと、
僕はお正月に思いました。

一里塚 どれだけ歩けば 岸へ往く]]>
リメンバー・フクシマ、ノーモア・フクシマ https://bochi.in/isho.php?d=884 Thu, 24 Nov 2011 03:03:34 +0900 悪狗陀 狸人 いろんなことを整理しないまま過ぎていってしまいそうだ。
いつの間にか、原発関連のニュースがマスコミから遠ざかり、
この国の行く先が反原発なのか、脱原発なのか、原発継続なのか、
具体的な議論もないまま、秋が深まっていく。
時間だけが過ぎてゆくけど、
今もなおフクシマの「タレナガシ」は続いているのでR。

さて、自分なりに考えてみよう。

考えないと、何も判断できないし何も行動できないからだ。
もちろんベースは、「ニャートラルでいこう」
なんだけど、反原発の本は山ほどあるけど、
原発推進の本はあまり見かけない。
(見つけた人は教えて欲しい)
感情論で書かれたエコ派、スピ系のものじゃない
科学者の立場から書かれたものから良書を探ってみた。

□『福島の原発事故をめぐってーいくつか学び考えたこと』
山本義隆著(みすず書房)
http://www.msz.co.jp/book/detail/07644.html

この著者を僕は一度だけ生で拝聴したことがある。
予備校に通ってた18歳の頃、「物理でスゲエ先生がいる」
と噂を聞きつけ、私大文系の僕がモグって聴講した。
山本氏は東大全共闘議長で、
いろいろあってスンダイの先生をやっていた。
鍼灸師になってからは、ヒトのカラダを診るためには
物の理を勉強せねばと思い、
科学史を扱った氏の著、
『磁力と重力の発見』を拝読し感銘を受けた。

『福島の原発事故〜』は百ページ弱の短い端的な表現であるけど、
反原発の論としてはこれがベストだと思う。

まず、「一 日本における原発開発の深層底流」で
その歩みを検証し、
つぎに「二 技術と労働の面から見て」
一度でも大きな事故を起こしたらそれで終わり、と論じる。
さらに、この本の出色は「三 科学技術幻想とその破綻」で
「十六世紀文化革命」から紐解きながら、
自然と人と科学の関係を考えてゆくことだ。

少々長くなるが、引用させていただく。
原子力について科学者自身が語ることにすごく意味があるし、
原子力開発に慎重だった(ゆえに、正力松太郎とぶつかった)
湯川秀樹研究室にいたこともある山本氏の言葉は重いと思う。

(引用開始)
「三月一一日の東日本の大震災と東北地方の大津波、
福島原発の大事故は、自然にたいして人間が上位に立った
というガリレオやベーコンやデカルトの増長、
そして科学技術は万能という十九世紀の幻想を打ち砕いた。
(中略)
私たちは古来、人類が有していた自然にたいする
畏れの感覚をもう一度とりもどすべきであろう。
自然にはまず起こることのない核分裂の連鎖反応を
人為的に出現させ、自然界にはほとんど存在しなかった
プルトニウムのような猛毒物質を
人間の手で作りだすようなことは、
本来、人間のキャパシティーを超えることであり
許されるべきではないことを、思い知るべきであろう。」
(引用終)

同じく、科学者の高木仁三郎氏も生前、
『原発事故はなぜくりかえすのか』(2000年、岩波新書)で
反原発の論を著している。これも同じく良書だと思う。
高木氏はもともと原子力の現場で働く科学者であったが、
後、反原発の仕事に携わる。
残念ながら、東海村の事故の後に亡くなってしまうのだが、
この書のなかで日本の原子力の現場を
「議論なし、批判なし、思想なし」と評している。
これでは、とても科学とは言えないと思う。

テレビ番組で良かったのは、ETV特集
「シリーズ 原発事故への道程 前編 置き去りにされた慎重論
 後編 そして“安全神話"は生まれた」。
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0918.html

原子力政策研究会の録音テープを元に構成された番組。
『通販生活』の「原発国民投票」CMが
テレ朝「報道ステーション」枠で
NGをくらうマスコミ界のなかでは、NHKの労作だったと思う。

3・11以降のキーワードは「多様性」だと思う。

なぜなら闊達な公の議論がないからだ。
多様性がないように見せているからだ。
僕らをローティーンの頃、縛り付けた
ユニフォームは、カタチを変えて
日本の社会に見えないユニフォームを着させてしまっている。

いろんな人がいて、いろんな考え方があり、
そしていろんな生き方がある。
それでいいじゃん。
それでいいはずなのに、
この「原発問題」に関してはネット、CS番組、中日新聞(笑)
などでしか俎上に載らない。

私たちの国は今年、地震津波の被害を受けただけなく
フクシマの放射性物質を太平洋に流し海洋を汚染し、
大気中に放出した国だということを忘れてはならない。

すぐにでも「瓦礫の中のゴールデンリング」を
見つけにゆくべきでR。]]>
3.11以降の世界、宮城県伊貝郡丸森町ひっぽ字 https://bochi.in/isho.php?d=861 Wed, 21 Sep 2011 16:58:38 +0900 悪狗陀 狸人
訪れたのは、いつも僕がお味噌を買っている「ひっぽ」。
http://www.h2.dion.ne.jp/~soyamiso/
「ひっぽ」の奥さん、ミコさんは
僕の鍼灸学校の大先輩にあたる方です。

宮城県に位置する「ひっぽ」ですが
福島県との県境に近く、
ということはフクシマ第一原発爆発の
いわゆるホットスポットになってしまっています。

機会あれば東北にと思ってましたが、
3.11以降の世界を皮膚で感じることができました。
そこには、テレビや新聞だけではわからない
「リアルな現実、本気の現実」がありました。

まず、放射線量のこと。
「ひっぽ」の家には、ガイガーカウンターが二機あります。
(α、γ、β線を測れます)
「ここ線量高いんだよね、測ってみる?」
雨樋の下、12マイクロシーベルト。高っ!
「除染してるんだけど、手が回らないんだ」
ご主人の話だと、田んぼは1200ベクレル。
4人のお子さんたちは、東北大学から支給された
積算計を首から下げて小学校に行っているそうです。

行政が何もしてくれないから、
地区の住民達で線量を測って汚染マップをつくったそうです。
全員で19人しかいない小学校の校長先生も
何もしてくれないそうです。

おばちゃん達は、地震津波放射能の話を普通にします。
ホントにお茶飲み話のように、普通にします。
孫が避難してた体育館で津波にあって、演台にしがみついて
危機一髪助かったと。
高台へ向って渋滞していた道路を
車で逆車線を飛ばして助かったと。
今日はしいたけ売ってたけど、
宮城は線量測ってないべ、危ないべ。
まつたけも蔵王で売ってたけど、アレ測ってる?

同じ地区で有機農業をやっている仙台からの移住のおばさんは、
線量が高いから今年は自分たちの分だけ、除染の植物を植えて
来年どうするかはまだわかんね、と言います。

なんだか、大変な状況です。
以前は、移住避難の方法もあるかと思ってましたが、
農業、第一次産業に携わる人々は逃げられない、
そこから去ることは死ねということとイコールだな、
と思いました。

ただ、子供たちは元気です。とても元気です。
割り箸鉄砲で攻撃されました。(笑)]]>
富める者の変節 https://bochi.in/isho.php?d=825 Mon, 13 Jun 2011 12:12:36 +0900 悪狗陀 狸人 それから数年経って、
カワイイペットがメールを届けるというソフトを開発した。
そして九州から出て来たその筋肉質だが、背の小さな男は、
代官山にアトリエを建てるほどのお金持ちになっていた。

それから数十年が経った。

フクシマで原子力発電所が爆発を起こしたとき、
話題になった一つのビデオがあった。
アニメーションの「うんち・おならで例える原発解説」
という作品だ。

僕はこのVにどうも胡散臭さを感じていた。
カワイイっぽく作ってって実は原発推進派の
安全洗脳Vなんじゃないか知らん。

果たして、このVを作っていたのが、
その芸術家、彼その人だったのだ。

そして、震災原発事故から数ヶ月後。
変わり身の速さか?
常に世の中のことを考えて行動するいい人なのか?
いや、まったく何も考えていないのか?

その彼が、いま「ガイガーカウンターミーティング」
という会を主催する。
(ちなみに、この講師陣は大阪大学の菊池誠先生はじめ、
いいメンバー。だからこの会自体が問題ではない)

「うんち・おならで例える原発解説」って
間違った比喩話を作った人が、
ガイガーカウンターを
「できるだけ良い測り方をみんなで知ろうぜ!」と言って
いいのかなぁ。

僕は薄着で笑うしかない。
お金がないから服が買えないのだ。

はっきり言おう。
僕は富める芸術家が羨ましい。羨ましいのだ。
ユニ◯ロのGパンじゃなくって、
大須へ行って高いGパンを買う金が欲しいのだ。]]>
ストレンジ・デイズ https://bochi.in/isho.php?d=817 Sat, 14 May 2011 01:48:22 +0900 悪狗陀 狸人 風の温度や湿度や匂いで、明日の天気がわかった。
ところがどうだろう。
放射能は匂いも足音さえ立てずやってくる。
僕らにはなんの「情報」もない。

地震津波の自然災害と原子力発電所の爆発は、
同じフェーズで語ってはいけないと思う。

「善人」になるくらいなら言いたいことを言って
「トンデモない奴」と呼ばれた方がいい。
原子力発電や放射能について、いろいろ書いてみることにした。

*3月某日

桜餅を買いに行ったら、
和菓子屋で原子力の話になった。
「しかしアレだな、アレは太陽だな。太陽みてぃなモンだな。
人間が太陽を造っちゃいけねえよな、神様じゃねえんだから。
最近はテレビも朝日ニュースターしか見ねぇよ。
嘘ばっかだもん民放はさ。」
そうだ、確かにネットから得られる情報の方が有効だったもの。

本屋さんにいったら、また原子力の話に。
「やっぱこういうのは、根っこを知らないといけないよね。
誰が何の為に始めたかってさ。
日本で原子力を始めたのは、中曽根康弘と正力松太郎だね。
当時はアメリカにホントに復讐したい人たちがいたのよ、
核武装してさ。」
そうだ、それがいつのまにか利権の温床になって、
原子力産業は金になると志のない人々が群がったんだな。

高校の先輩が健康食品のセールスにやって来た。
(もちろん買わないけど)
「今回の原発の事件でわかったんだけど、
原子力の産・官・学と医療業界も同じ構造なんだよね。
ま、どの業界もそうかもしれんけど、
人の生死に関することだからタチが悪いよね」
まあまあ、僕もそう思うけど、
先輩には悪いけど健康食品は買わないよ。

知人の若奥さんが来た。滅多にウチに来ないんだけど。
「実は、主人が震災以降ネットばかり見てて全然仕事しないんです。
地震兵器がどうのこうのと真顔で言うんです。
毎晩聴いてたら肩が凝っちゃって」
「それってニューメキシコから送ったってヤツ?(笑)」
本気で言っている輩、結構いました。
あと、被災地に念を送るとかいうオカルトな人たち。


大事なのは、
自分で考えて判断して行動すること、
そしてその責任は自分がとること。
科学は信頼してもいいけど、信仰してはいけないということ。
こんなことは有事でなくっても、
わかってなくてはいけないんだけど。


* 4月某日

現場に行こう。でもフクシマには行けないから、
そこで、浜岡原子力発電所・原子力館に行ってきました。

往診先の掛川市から8キロほど東へ
国道150号線をとばす。
御前崎市へ入って原発へ2キロほどになると、
急に舗装がよく施された二車線になる。
補助金のせいだろうか、小ぎれいなバイパス風の道沿いに
量販店やレストランチェーン店が並びだす。

丘を上った先の遠州灘沿いに浜岡原子力発電所があった。
桜がきれいに咲いていた。
フクシマとほぼ相似。
海沿いに建つ無機的な大きな箱状のモノ、数機。

原子力館には、
3号機原子炉と同型のレプリカが展示されていた。
大きい。ビル4階分くらいある。
原発推進派の洗脳パネルが並んでいる。
「日本はエネルギー小国だから。
石油は遠くない未来に枯渇するから。
プルサーマルは再生可能なエネルギ−だから。
二酸化炭素は排出しないから。」
これらが「大義名分」としてあった。
一見マトモに論じられているこの話の穴に
気づかないほど、僕の脳はメルトダウンしてはいない。
なんだか信仰宗教の勧誘の方法と似ていなくもない。

エコからエヴァへ。(笑)
1号機とか、2号機とかまさにエヴァだ。


* 5月某日

放射能に関する発言で有名になった
中部大学の武田邦彦教授が気になってブログを覗く。
この先生はテレビで発言するのを見るのもおもしろけど、
文章の表現のほうがスマートでいい。

武田氏の他の分野の著作『大麻ヒステリー』(光文社文庫)
を読んでみた。
大麻をめぐる歴史の記述
(とくに合衆国の禁酒法からの流れ)がおもしろい。
でも、なぜ禁酒法が関係するの?
「何事も、自分の頭で正しいどうかを判断するためには、
判断の対象になるものを直接的に知るだけではなく、
その周辺の物事の理解が必要です。」だって。なるほど。


*5月某日

ふと、村上春樹のエルサレムでの受賞挨拶を読み返そうと思った。
「壁と卵」(『村上春樹雑文集』に収録)から引用。
以下、
「(略)我々はみんな一人一人の人間です。
システムという強固な壁を前にした、
ひとつひとつの卵です。
我々にはとても勝ち目がないように見えます。
(略)もし我々に勝ち目のようなものがあるとしたら、
それは我々が自らの、そしてお互いの魂のかけがえのなさを信じ、
その温かみを寄せ合うことでしか
生まれてくるものでしかありません。
(略)システムを我々に利用させてはなりません。
(略)我々がシステムをつくったのです。」

うん。パンク魂に火が点いた。ライト・マイ・ファイアー!

奇妙な日々は続く。]]>
How Do You Feel? https://bochi.in/isho.php?d=744 Thu, 11 Nov 2010 13:55:28 +0900 悪狗陀 狸人
ファーストコンタクトは、西門から穴八幡に下る早稲田通り。
歩いている私の横を、乙武カーが猛スピードで追い越して行った。
それから数年後、サンフランシスコ行きのユナイテッドの機内。
ビジネスクラスのシートのない空間に、
乙武クンが乙武カーにちょこんと座っていた。

氏の場合はマスコミでの露出もあったので、
そんなに驚かなかったように憶えているが、
それでも実際に遭遇した衝撃はあったような気もする。

さて、NHK教育のすごい番組を見た。
「きらっといきる」。
http://www.nhk.or.jp/kira/index.html

そのなかの1コーナーのバリアフリーバラエティ、
「バリバラ」。
日本のテレビ史上初の障害者バラエティー番組、
と説明には書いてある
http://www.nhk.or.jp/kira/post/baribara.html

僕が見た回に出ていたパフォーマーは、
知的障害のある「ダジャレ王子」。
統合失調症の紙芝居パフォーマーは、
番組のタイトルをもじって
「きらっといきない」という紙芝居。
(きらっといきない、というのがペーソスが効いてる。)
さらに清水アキラよりすごかった、
谷村新司の物真似をする脳性麻痺の男性とそのヘルパー。

テレビを見て、
神戸浩さんを初めて小劇場で見た時くらいの衝撃を受けた。
なんとも言葉で表現することができない、書いている今でも。
なんと言ったらいいものやら。

マスコミがやることなので、
制作側の意図やら、障害者の方の意思やら、
その周りの人々の考えというのはわからないのだけど。
ただ、パラリンピックを見るのとは意味が違うと思う。

そもそも笑いというのは「ズレ」を感じることなので、
身体に「ズレ」があらかじめ有る人たちの芸となると、はぁ…。
談志師匠に説明してもらいたいくらいだ。

複雑な気持ちになりました。
おもしろかったけど、
見終わった後に、何とも言えない
モヤモヤ感が残ります。
この感情はなに??

(蛇足)
*ちなみに、最近流行っている、
「障害」→「障がい」の件について私見を述べます。

障害者の「害」の字の「がい」化なんですが、
白川静『字訓』によれば
「害」は和語の「そこなふ」にイコールで、
私思うに、曲がったイメージで
「わざはひ」に解釈されちゃったので
害はいかん、となったのではと思います。

角川の『新字源』によれば、
本来、「障害」は、
「障礙」あるいは「障碍」の書き換えだそうです。
(中国語では「障碍」みたいですね、中医の本を見ると)
だから「障害」というワード自体、
間違ってると言ってもいいかもしれません。
おかしな言葉です。]]>
夏の自由研究〜茅野市美術館「藤森照信展」 https://bochi.in/isho.php?d=672 Thu, 05 Aug 2010 13:47:27 +0900 悪狗陀 狸人 ETC 1000円、車購入(つうか中古42万だけど)、いい天気
の好条件が揃った土曜日。
真っ赤なゴルフを中央高速を北へ走らす。

まず訪れたのは、諏訪大社上社前宮。
前宮は一般の観光ルートではないのだけど、
諏訪の原始信仰を体現したお宮だと僕は思う。

諏訪の奇祭のひとつに
「御頭祭(おんとうさい)」というのがある。
江戸時代のルポライター、菅江真澄の著書によれば、
鹿の生首、75頭をまな板の上のにのせ
神に捧げる祭りだ。(現在では剥製の鹿を使用)
この祭りが行われてきたのが前宮十間廊で、
その神長官だったのがモリヤ氏という一族だ。

今回の旅の目的は
藤森照信氏の展覧会を観ることなのだが、
その前に外せない場所があった。

僕が次に訪れたのが、「神長官守矢資料館」である。
藤森建築の処女作でもあり、
諏訪の深淵を覘くことができるところでもある。

諏訪の地は、その昔
出雲から流れてきたタケミナカタ一族と
土着のモリヤ一族とのあいだで争いがあったそうだ。
(僕は何故だか、諏訪湖と宍道湖の相似性を感じてしまう)

モリヤ氏はミシャグジ(樹や笹や石や、
生神・大祝いに降りてくる精霊)という「カミ」を信仰し、
争いの後、その祭祀権は神長官であるモリヤ氏に残る。

モリヤ氏はミシャグジを祀る祭事の秘法を一子口伝で
77代まで伝えたけど、明治の頃、失伝したというが、
茅野市が資料館として残っているものを所蔵している。
(僕が10数年前にうかがった話では、
江戸川区の女性が78代を継いでいるとのこと)

人の内にはそれぞれ、原風景というものがある。
藤森氏の場合は、彼の魅力的な建築物に
諏訪の風景が垣間見える。
「神長官守矢資料館」も、
その裏の畑のなかに忽然と立てられた
藤森氏の茶室「高過庵(たかすぎあん)」も、
青い空と白い雲を背景に、
この景色の中に在れば少しの異和感もなく、
当然何千年も前からそこに在ったかのように
溶け込んでいる。

いや、ミシャグジを感じ
その「カミ」を祀ろうという精神性を
人に宿した諏訪の風景が、
藤森氏の建築の根源となっているのではないか
と僕は思った。

http://www.chinoshiminkan.jp/museum/2010/0724/index.htm]]>
恋は遠い日の花火ではない https://bochi.in/isho.php?d=665 Mon, 26 Jul 2010 02:58:24 +0900 悪狗陀 狸人 彷彿させるお話を。

ねじめ正一著『荒地の恋』が夏の課題図書。
N氏からの薦められて読んだのだが、
『死の棘』を思い出させる実話恋愛事件を題材にした小説。

詩人・田村隆一の妻、明子を
その親友で詩人の北村太郎(妻子持ち)が奪うというお話。
この時点で北村53歳。明子47歳。
中年以上のドロドロした恋愛がリアルすぎる。
人間は恋をするんだねぇ、いくつになっても。

次の「花火」。

80歳のお婆さん三人組に、リアル老人W不倫(80代だ!)
の生々しい話を聴いた。
東京(80代男)と名古屋(女)が新横浜のホテルで逢瀬だと。

ホントかよっ!!
W不倫された奥さん(90歳)が、夫の携帯を見て発覚!
しかも夫のラブメールをすべて暗唱したという、
ボケ老人ではない記憶力!

やっぱ、こういう刺激がボケ防止には役立つのかな。
緊張感かなぁ。緊張の夏。


]]>
優勝ってこういうことじゃん! https://bochi.in/isho.php?d=659 Mon, 12 Jul 2010 23:42:24 +0900 悪狗陀 狸人

ちなみに、カシージャス(スペインGK)
とテレビレポーターは恋人同士です。

ああ、なんかいいなぁ。こういうの。
こういうのって、いいよね。]]>
クライフの後継者たち https://bochi.in/isho.php?d=658 Sat, 10 Jul 2010 03:28:39 +0900 悪狗陀 狸人 まさに僕の好きなフットボールの対決となった。

岡ちゃんのサッカーをおもしろくない、と
言い続けている僕にとって
ワールドカップの優勝国がどこになるか、は
とても大事なことなのだ。

なぜなら、たった1つの勝者のフットボールが
スタンダードになるからだ。
それがオランダ、もしくはスペインに絞られたのだ。

この2つの国に共通するのは、14番、
ヨハン・クライフ。
トータルフットボール、あるいは空飛ぶオランダ人、と呼ばれ
モダンサッカーの原型を作り上げたその人である。

アヤックス(蘭)の育成制度、
バルセロナ(西)のパスサッカーのスタイル、
これらはみなクライフに負うところが大きい。

クライフの播いた種は、36年かけて
ワールドカップを掲げるまでに成長した。

あまりにも有名な彼の言葉を引用して、
僕は日本代表の闘いもまた、振り返りたいと思う。
「美しく敗れる事を恥と思うな、
無様に勝つことを恥と思え」。

決勝戦が楽しみだ。]]>
勝つために必要なこと https://bochi.in/isho.php?d=654 Wed, 30 Jun 2010 03:15:14 +0900 悪狗陀 狸人
J、代表はもちろん、J2、社会人、なでしこ、女子サッカー、
高校サッカー、などいろんなカテゴリーの試合を
生で観るのが好きです。

いまベスト8をかけたパラグアイ戦が終わりました。
そして、スカパーで総括がはじまりました。

ポポビッチは「日本、パラグアイともに『負けない』
ための試合だった」と言いました。
オシムは「もう少しだけ勇敢であれば、
もう少しだけ勇気があれば、挑戦する気持ちがあれば」
と言いました。

試合内容からみればパラグアイが勝ってました。
明日のマスコミは「惜敗」とか言うのでしょう。

サッカーは点を取るゲームです。
FWがいないチームがどうやって点を取るんだろう。

僕はたまたま日本はベスト16に残った
というのが本当のことだと思います。
(デンマーク戦はいいゲームだったけど、
フリーキックの2点があったから、だと思う)

一所懸命やるとか、チームが1つにまとまるとか、
そんなことは戦ううえで大前提のことだし、
それを殊更取り上げて賞賛することはおかしいことです。

相手の長所を消すディフェンス(=ロジック)ではなく、
どうやって勝つかというクリエイティビティ、
がサッカーのおもしろいとこだと思うんです。

その創造性に欠けてました。

具体的に言うのなら、
この4試合、攻めるために投入した途中出場の選手たちが
ほとんど機能してなかったではないでしょうか?

パラグアイ戦に限って言えば、
俊輔、森本、あたりが欲しかったし、見たかった。
(俊輔ファンではありませんが、
この試合の後半では必要な選手だったと思います)
今日の試合に勝つためには、俊輔のクリエイティビティと
それに動く選手が必要だったと思います。

もう一度、勝つために必要なことは何なのか?
これについて考えた方が良いと思います。

岡ちゃんは徹底的にそういうものを嫌ってきました。
かつてのカズ、今回の俊輔、
今回のW杯のメンバーに漏れた黄金世代の選手たち。

勝つために必要なことは、
守備的なポゼションサッカーではなく、
相手の長所を消すことでもなく、
オシムの言う「勇敢さ」なのだろうと思う。

勇者を目の当たりにすることで
人は感動するのかもしれないし、
その方法論に美学、哲学、思想みたいなものを
感じるのかもしれない。

そういうサッカーを、私は観たいと思います。]]>
マスコミってなんなんだろ? https://bochi.in/isho.php?d=644 Thu, 17 Jun 2010 00:06:28 +0900 悪狗陀 狸人
普天間のことも、そうだった。
小沢批判についても、そうだった。
こんどは、サッカー日本代表。
これも、そうだった。

ことごとくマスコミの論調って
偏ってるんだよなぁ。

じゃあ、サッカーのカメルーン戦について書きます。
僕はサッカーが好きなので。

カメルーン戦での日本代表のサッカーは、
「変な」サッカーでした。
「出る単」とか、「出る熟」をマジメにやった
受験生のような、傾向と対策のような、そんなサッカー。
おもしろくない、勝つためだけのサッカー。

ただワールドカップは勝つことが全てで、
負けたらナッシングで、
勝つことが善だから、マスコミはそう飛びつく。

ゴン中山氏はきちんとコメントしてた。
「日本戦じゃなきゃ、寝てますね」と。

http://supportista.jp/2010/06/news16204603.html

こんなサッカーフリークの意見もあります。
以下、引用。

「少なくとも、世界は驚かなかった。
弱者が、集団で守備を固めて、最少得点の試合運びをする。
引き分けならOK、あわよくば、勝利を目指す。
この戦い方は、見慣れた風景だったはずです。
そこに、日本の独自性も、
世界に打ち出すスタイルも感じられない。」

http://supportista.jp/2010/06/news17011000.html

あのね、だから岡ちゃんのサッカーって
僕にとってはつまらないんだよ。
僕ら世代の大学の受験生みたい。

フォワードいなんだよ、点取れないじゃん。
取れたけど、たまたま。

オランダ戦がとても楽しみだ。]]>
つれづれ至陰考 https://bochi.in/isho.php?d=632 Tue, 25 May 2010 15:03:26 +0900 悪狗陀 狸人 知り合いのK子(仮名)さんが「至陰」の灸をした後に、
逆子が治った。

鍼灸の世界では、「逆子の灸」と呼ばれているお灸がある。
足の小指のツボにお灸をすえるのである。
もちろんこの「逆子の灸」には、
科学的な根拠はない、と僕は思う。

K子さんにはお灸をする数日前に、
石野尚吾著『女性の一生と漢方』と
西原克成著の『赤ちゃんの生命のきまり』を読んでもらい、
東洋医学的なブリーフィング、
私なりに説明をして、彼女に施灸の実技指導をした。
(このケースでは金銭は頂戴していない)

なにせ科学的な根拠のない経験則だけのお灸なのである。
信じろという方に無理がある。

鍼灸という「危うい」業をする者としては、
自分の行為に対しての説明がきちんとできているのか、
もっと簡単に言うのなら、「鍼って何で効くの?」
という問いにどういう答えをするのか、
毎日毎日、僕らは考えていかないといけないのだ。

ではどうやって「逆子のお灸」について説明したらよいのか。
ここでは科学的な面ではなく、東洋医学、
それも「経絡」という妄想(あるいは形而上の概念)を
用いて先人達が説明をしている。

以下は、私が直接聴いた
中国の天津中医薬大学附属第一医院の
婦人科の先生に聴いた話である。

逆子の特効穴の「至陰」。これは経験穴であり、
昔の人が臨床に基づいて最後に残った穴が「至陰」。
足の井穴(*小指でなく他の指にあるツボ)であれば
どれでも可能性があるが、
いちばん確率が高いのが「至陰」。
効果があるから、かえって理屈をつけなくても良い。
お灸をしたその時に効果があるので、施術姿勢に注意。
必ず仰向位で、お腹をしめつけるような衣服は着ないで。
時間によって胎児が動きやすいのは、
お灸をした後1時間。寝たままにしておく。
あとはその日の睡眠の前。

天津中医研究所のK先生に「至陰」について聴いた話。

足太陽膀胱(*頭からカラダの背面を通って
足の小指に降りる妄想の縦の妄想ルート、動作線)は
水の通り道である。
(中略)それで「至陰」へ(の灸刺激)は、
羊水が溜っている水に小石を投げて波紋が広がるようにする。

これらは、東洋医学というソフトを起動させた時に
成立する話で、
それをインストールしていない人々にとっては
もう何がなんだかわからない。
たまたま「至陰」への灸で治ったから、
それが「逆子の灸」と呼ばれるようになったのではないか、
理屈は後付けなのではないか、と思ってしまう。

鍼灸は科学ではないし、だから、いろんな面を持って
モノコトを語ることができるのはとても大切なことだと思う。
東洋医学という「パラダイム」、世界観で説明できるのは
悪いことではない。
というのは、科学や現代文明が盤石なものかというと、
それが全てではないことは我々は薄々わかっているからだ。

話はそれだすが、
光文社新書『傷はぜったい消毒するな』に、
パラダイムシフトの話が書かれている。
たとえば天動説について。
地動説が常識になった今から見ればおかしな考え
かもしれないけど、
天動説が「科学」だった時代もあるし、
女子の好きな西洋占星術は
天動説という考えをベースにして生まれていると思う。
そういう世界の捉え方もあったのだ。

世界をどう捉えるかというと
こんな世界観で治療をしているアフリカの国もある。
ワールドカップで日本が対戦するカメルーンだ。

春秋社『サイケデリックスと文化』には、
ギンナージ(精霊)の病い(*おそらくある種の精神疾患)を
治す130名の呪術医のフィールドワークが書かれている。
これは90年代の調査なのでそんなに古い時代のことでもないし、
ギンナージのいる世界をきちんと信じている人々に対して
効果のある治療であると思える。
治療する側、される側の世界観の共有がそこにはある。
(ちなみにこれらの呪術医は治療にあたって、
ペヨーテなどの幻覚剤は用いていない。)
信じている人々がつくる空間というものは、
そこには違う世界が確実に在ると思う。

92年にバリ島に私が行った時のこと。
その頃のバリ島は90%の人がバリヒンズー教を信仰していて、
あの島の独特の空気はそういったことも関係してるのでは、
と思ったものだ。
巨人軍の帽子をかぶった褐色のガイドのおじさんが、
猫や牛や自動車に憑依して悪戯をする輩の話を
マジメにしていたっけ。

中世にはこんな奇妙な治療法もあったそうで。

元東大全共闘議長、お茶の水の予備校の物理教師、
山本義隆著『磁力と重力の発見1』の序文には、
パラケサス主義者の「武器軟膏」(別名「磁気療法」)
という治療法(?)について書かれている。
それは「刀傷の治療のために傷にではなく
傷を負わせた刀のほうに塗ればよいという薬」であり、
「それによりたとえ20マイル離れていたとしても
傷ついた兵士は癒される」という。
これって、武器と傷の遠隔共感(爆)とでもいうべき
概念なのか。
でもこれについては17世紀前半までマジメに議論されていた
と聞くと、少なからず驚いてしまう。

でも「科学」っていうのはそんなものかもしれない。
いま正しいと思っているコトは、
明日にはすでに正しいこコトではなくなっているかもしれない。

繰り返しちゃうけど、鍼灸は科学ではないし
科学だってそんなものだと思っちゃえば、
僕らがいかに「危う」くて不確かなモノの上にいる
ということがわかる。

じゃあ、自分は何を信じてどの面に立っているのか。

だからこそ、自分のしていることくらいは
自分の言葉で文章で、きちんと説明しなくてはと
強く思う今日この頃なのである。]]>
海兵隊を浜松に誘致します https://bochi.in/isho.php?d=614 Tue, 27 Apr 2010 12:05:16 +0900 悪狗陀 狸人 でも僕が浜松市長だったら、基地を誘致してもいいと
宣言したい。

あ、これも反語です。

僕は米軍には出て行って欲しいです。
ヤクザの論理だもん、守ってやるから金出せって。
で、敗戦後からそのままの仕組みを考え直せばいい。
外務省も防衛省も政府も国民も。

軍隊持つのイヤなら、日本軍は民営化すればいい。(笑)
国が軍隊持つわけじゃないから、9条にも引っかからない。

しかし徳之島の人々も基地来るな来るな、というのは
それで至極当然の感情だと思うんだけど。
じゃあ、沖縄の人々はどうすんのよ?と思わないのかな。
そして徳之島だけではなく、
日本のほとんどの地域、人々が自分の土地には
米軍に来て欲しくないと思っているはずだ。
じゃあじゃあ、沖縄の人々はどうすんのよ?
イヤだイヤだ言う前に解決策を出そうよ、
つうか、米軍に駐留されてお金取られている現状を
考え直そうよ。

そうでしょ?

日本人として解決策を出さなきゃ?
鳩山総理だけに任せてていいの?

ホントに米軍が必要だと考える人が多くって、
それでも自分のとこに来るのイヤなら、
じゃあ、僕の住んでる浜松に海兵隊、来てもいいよ。
みんな嫌なら、引き受けるよ。
ホントは僕もイヤだけど。

自衛隊の基地もあるし。
浜松に米軍を!!

あ、でも反語です。

*本当に論理的な文章は、以下を参照してください。
内田樹氏のブログ
「普天間基地問題がかたづかない理由」

http://blog.tatsuru.com/2010/04/23_1012.php]]>
行き過ぎた「龍馬」ブーム(小ネタ) https://bochi.in/isho.php?d=595 Sat, 27 Mar 2010 02:28:01 +0900 悪狗陀 狸人
治療院の近くのドラッグストアで、こんな商品を発見!
男の性機能アップの健康食品。
いずれも昨今の大河ドラマの龍馬にあやかってるみたいですが。

まず、
「龍馬 男の自信」。

そして、
「IKUZEYO(イクゼヨ)! by 龍馬」。
おいおい、byってなんだよ。
しかも土佐弁だし。(爆)

これは、まさに、行き過ぎた「龍馬」ブーム、だ!
ちなみに龍馬に子どもはいなかったと思うんだけど。]]>
『癌患者を救いたい』を読んで https://bochi.in/isho.php?d=577 Tue, 02 Mar 2010 23:49:38 +0900 悪狗陀 狸人 レッド氏に話したような気がするのですが、
*ブログ「異端医師の独り言」
http://blog.livedoor.jp/leeshounann/

そのLEE先生が、私のお世話になっている神保町の出版社から
『癌患者を救いたい』を上梓したそうです。

『買ってはいけない』を読んだら、
『「買ってはいけない」 を買ってはいけない』を
読まなくちゃというのが師匠筋の教えなのですが、
いまの日本の医療界を盲信している人々にこそ
ぜひ一読して欲しい本だと僕は思います。

で、読んでご自分で判断して考えて行動していただきたい。

かつて一連の近藤誠著作(『患者よ、がんと闘うな』など)
が論議を巻き起こしましたが、
このLEE先生の著作も、もしかしらかなりの爆弾になるかも的な
内容なのであります。

とはいえ、LEE先生は科学的にがんを検証されているし、
日本の医療がいかに鎖国状態にあるのか、ということ、
官僚、業界、製薬会社の利権、
経済としての医療になってしまっている現状に
正直に真摯に論を進めているのです。

だからホントのことだけに、
あとがきには訴訟も受けて立つような気概が
記されていますが、実名を書かれて非難されている先生方も
ホントのことだけに起訴もされないのでは、
と思えてしまいます。
(反論の仕様もないので)

まあまあ、癌を患っている人、その家族、
そしてこれから老いてゆく僕ら、
この本を読んで自分の死にゆく方を考えてみては
いかがでしょうか。

自分のアタマで考えて判断して行動する、
こんな簡単なことが簡単にできるといいな
と思います。]]>
古代少女ドグちゃん https://bochi.in/isho.php?d=570 Thu, 25 Feb 2010 01:45:03 +0900 悪狗陀 狸人 でこんなんやってます。
名古屋のみんな、チェックしてねん♥

http://doguchan.jp/

http://www.mbs.jp/doguchan/

「1万年の眠りから覚めた、
土偶ビキニがトレードマークの土偶の神様「ドグちゃん」。
ひきこもりの男子高生の家に住みつき、
社会問題を風刺した妖怪たちを
少しセクシーな技で退治していくアクションラブコメディー。

必殺技「ドキドキ(土器)ウエーブ」では、
胸に妖怪を吸い込むと「胸いっぱい」の決めセリフ。」

だって。

中部日本放送(CBC)
2010年1月22日 - 金曜 26:25 - 26:55]]>
ラーメンとは都会の食い物でR https://bochi.in/isho.php?d=568 Tue, 23 Feb 2010 02:58:50 +0900 悪狗陀 狸人 つうか、浜松にはうまいラーメン屋が少ない。
(べんがらの「進龍」もいつの間にか閉店、
おいしかったのに)

もしかしたら、ラーメンというのは
都会の食べ物じゃないのか、と最近思うようになった。
あの喧騒、ごみごみ感、空気の悪さ感、
せちがらい感、なんかが人をラーメンへと誘うのかもしれない。

最近、おもしろいラーメン体験をしたので
聴いてください。タイトルは「覆麺」。


その店は神保町の交差点から
すこし奥に入った裏道にあった。
引いてみれば普通の民家、
寄ってみるとオレンジ色に窓や扉が塗りつぶされている民家。
ここってなに?

この街の事情通が僕に言う。
「ここ、ラーメン屋なんだよね」
「そうですか」
「覆面のレスラーがつくってるの」
「…。……(噴き出し笑)」

その店の名は「覆麺」。

僕は中の見えない
オレンジの引き戸を右に開けた。
カウンターだけの席は満杯。
黒いTシャツに、白いデストロイヤー型のマスクを被った
太鼓腹の男がひとり、ラーメンをつくっている。
よくある自販機でメニューを選ぶ。

まぜそば覆麺(汁なし)が気になったが、覆麺(醤油)を押す。
覆面=覆麺だ。
蛍光灯の明かりだけが妙に明るい静かな店内。
まだ店の空気と流儀を掴みかねている僕に、
時々、覆面とお客の会話が聞こえてくる。

「どう?20辛」と覆面が訊く。
カウンターの横の席の大学生風が
赤く染まった汁を啜っている。
「ぜんぜん大丈夫っす。まだいけますね」

「彼ね、一番なんすよ」
と覆面が初めて僕のほうに顔を向け話はじめる。
「会員が1万8千人いるんすよ。辛いの彼が一番」

ごちそうさまと席を立った彼に、
覆面から赤いカードが手渡される。
赤いカードには銀のシールがいっぱい貼ってある。
大学生風は誇らしげにカードを手に取った。
あ、オレもカードが欲しい。

どうやら、会員制のラーメン屋に入ってしまったみたいだ。

「はい。醤油ね」と出てきたラーメンは、
海系のダシの効いた東京風ラーメン。
縮れた麺の上には、
うずたかく盛り上がったもやし(だが、二郎ほどではない)。
チャーシューは箸で触れるだけで崩れる。

うまい。
覆面だけに目がいって、覆麺の本質を見落としてはいけない。

厨房の壁を見上げると、
「80%スープを飲んだら会員」との張り紙。
僕はまだこの店の会員ではない。
カードが欲しい。
あのカードを覆面から手渡されたい。

果たして、黒いスープを完汁し、
店を出る僕の手には黒いカードが握られていた。

*東京方面の方はぜひ体験されたし。
月〜金は会員のみみたいです。ご確認を。
27日(土)にはついに覆面を取るとか?]]>
品格ってなんだ?わかる?? https://bochi.in/isho.php?d=557 Sun, 07 Feb 2010 01:03:18 +0900 悪狗陀 狸人 一度もお金を払って大相撲を観たことのない
一視聴者の意見です。

土曜22時からのNHKの朝青龍引退番組で、
横綱の「品格」について語られていた。
元横綱、北の富士親方が云う。
「…わからないですよね、品格って」
漫画家のやくみつる氏も
「品格って自分が云えた義理じゃないんで」
と、「品格」の定義に対する名言を避けた。

おまけに、中日新聞土曜朝刊の社説も
「品格」について具体的に言及していない。

「品格」に劣る、というのが引退勧告の
理由だとするなら、
「品格」とは何か?について答えるのも
横審や協会のすべきことだと思う。
なぜなら、この僕も「品格」について
わかっていないからだ。

朝青龍関は相撲をスポーツだと思っていたのだろう。
プロスポーツは勝つことを至上の命題とする。
いな、相撲は興行だと僕は思う。
だから、プロレスのヒールが悪態をつけばつくほど
観客は盛り上がるのと同じように、
関取が礼儀正しければ正しいほど盛り上がる。
そういう興行的な意味合いの強いスポーツだと思う。
だから勝ち負けとは別のポイントが加算されるのだ。

それで思い出した昔の漫画。

『タイガーマスク』の終わりの歌(みなし児のバラード)は、
「…強ければ それでいいんだ 
力さえ有れば いいんだ 
ひねくれて 星をにらんだ僕なのさ…」
と、こう唄っている。



『あしたのジョー』も「品格」のなかった主人公・矢吹丈が
拳闘を通じて成長していく物語である。

タイガーマスクには、ちびっこハウスのみんなが、
あしたのジョーには、丹下段平や白木葉子(この女性に関しては
違う論点もありますが)がいた。

NHKの番組で記者が言っていた。
朝青龍はモンゴルサッカー事件の後、床山さんに
「品格」ってなんだろうね?と問い掛けたが、
床山さんは「…」と何も答えられなかったそうだ。

朝青龍の物語は終わったけど、
彼の人生は続くのだ。明日はどっちだ。あ、大統領か!(爆)]]>
音楽は魂を浄化するのか? https://bochi.in/isho.php?d=554 Fri, 29 Jan 2010 03:12:07 +0900 悪狗陀 狸人   なんのご縁か、たまたま僕が静岡往診でいく
  患者さんの家の近くの葬儀場。
  白衣を喪服に着替える。

1/9 漫画家のしりあがり寿先生の新年会で演奏する、
  昔のバンドのリハーサル。
  この面子では、ほぼ20年ぶりのスタジオ入り。
  みんな40歳を過ぎて、それぞれの道を歩んでいる。
  ドラムを除いて、3人はオリジナルメンバー。
  あの頃はあんなに簡単に会えたのに、
  わずか4時間、1日だけの練習。
  しかし、スリーコードのロックンロールバンドなので、
  眠っていたソフトウェアを再起動するには、
  充分な時間だった。

1/10 新宿ロフト。
  20年ぶりのバンドをやった。
  息切れする(笑)20分のライブ。
  ライブにはライブ用のカラダが必要だ。

  セットリストは当時の楽曲ばかり。
  アラフォーバンドと思えないメチャクチャな演奏。
  あの頃、阿佐ヶ谷のボロアポートでつくった
  楽曲が20年の時を超えて自分に還ってくる。
  これはメッセージだな、と思う。
  ハゲ君の追悼をと思ってのぞんだステージであったが、
  果たして、そのことも忘れてしまうほど集中していた。
  音楽はいい。とてもいい。

M1 スイマーズのテーマ
 2 とびこめ
 3 プールの中から
 4 I'm a man 〜オヤブン
 5 僕はロックンローラーじゃないから
 6 スイマーズのテーマ



1/20 チャボ、仲井戸麗市の『I STAND ALONE』を聴く。
   昨年、秋に渋谷AXで行われたライブのDVD/CD盤。
   楽曲はほとんどRCの名曲で、
   彼らの人生の映画を観ているかのような、
   キヨシローへの想いがつまった音楽と詩。

   車で地方の国道を走らせながら大音量で聴く。
   20年ぶんの風景が後ろへ通り過ぎる。
   僕は次へと足を進めなくちゃならない、と思った。]]>
ハゲ君死す https://bochi.in/isho.php?d=536 Sat, 09 Jan 2010 02:35:36 +0900 悪狗陀 狸人 こと、赤堀くん(ハゲ君)が
新年4日、がんで亡くなったそうだ。
42歳だった。
ここ10年くらい会ってはいなかったので、
突然の訃報に絶句した。

http://www.tobunken.com/news/news20100106124659.html

彼と僕とは、早稲田の一文の同期で、
「マシュマロ・ウェーブ」という劇団で
一緒にお芝居をした。
21、2歳からたった3年くらいだけど。

マシュマロ時代の彼の代表ネタは…。
「10㎝の男」
「海老バーガー(正式名称は忘れた)」
「十人十色」…、
うーん思い出せない。
あ、「スイカーズ」というスイカの特殊メイクを
顔に施した弾き語りデユオもやってた。

思いついたネタがすべて舞台になる、
そんな頃に一緒にお芝居をした。

それから20年。
彼はずっと舞台の人だったそうだ。
彼の魂は舞台の上にあったという。
あの頃の思いを抱えて、もっとも純化したままで
時を過ごしていたのは、彼だったのかもしれない
と思う。

お通夜に向かうタクシーの中で、
運転手が喪服の僕に話しかけた。
「最近、私も般若心経とか観音経とか
そういうの読むんですよ。」
60年安保の急進的活動家だったという
運転手はこう続けた。
「いまの日本には革命は必要ないね。
一時期はお金で自民党買い取ろうかと思ってたけど。
あ、バブルの頃ね、不動産で儲けたのよ。
もうないけど」
「運転手さん、もう『共産党宣言』は読まないんですか?」
「うん、昔は読んで感動したんだけどね。昔はね」

何かを信じてそれを貫き通す。
純粋なのか、頑固なのか、馬鹿なのか。
演劇を続けた彼は、
それはそれで素敵な人生だったと僕は思う。

ハゲ君、万歳!
ハゲ君のご冥福をお祈りします。]]>