亡くなった著名人
田淵寿郎氏(土木工学者)
1974年7月10日 逝去
田淵 寿郎(たぶち じゅろう、明治23年(1890年)3月3日 - 昭和49年(1974年)7月10日)は、大正、昭和期の日本の土木工学者。都市計画推進者、近代的都市づくりの先駆者である。名古屋市副市町村長/助役などを歴任。
広島県佐伯郡大竹村(現在の大竹市)出身。中学から兄のいた大分県杵築市/杵築に住む。回漕問屋の十番目の子に生まれたので「十郎」と名付けようとしたらしいが、語呂が悪いということで「寿郎」とした。回漕問屋の息子として育ったため、本人は将来は船乗りになりたかったらしいが、海軍兵学校の試験の身体検査で心肺機能に異常があることがわかり、入学のための身体基準が厳しい商船学校への進学を断念した。また造船科に進もうとしたが、学校で所属していたボート部の練習が忙しく造船科に進むための必修科目である化学実験を受講しなかったことや当時造船業は不況であったこと等から、兄などの勧めもあって受講条件を科していない土木工学科へ進むことになる。
(ウィキペディアより)
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