亡くなった著名人
犬塚稔氏(脚本家・映画監督)
2007年9月17日 老衰により逝去
犬塚 稔(いぬづか みのる、1901年2月15日 - 2007年9月17日)は、日本の脚本家、映画監督である。最高齢の映画人であった。長谷川一夫のデビュー作と引退作の脚本を執筆し(デビュー作『稚児の剣法』 は監督兼任)、勝新太郎の当たり役『座頭市』の脚本家としても知られる。
1901年(明治34年)2月15日、東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区)花川戸に生まれ、台湾の台北市で少年時代を過ごす。父は『劇団新派』の前身の一つとされる『成美団』1896年(明治29年)9月に『川上音二郎一座』の中心俳優らと喜多村緑郎 (初代)/喜多村緑郎らが中心となり大阪道頓堀角座で旗揚げした劇団。の座付作家・大須賀豊(本名・犬塚福太郎)だが犬塚が五歳の時に死別した。
(ウィキペディアより)
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