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亡くなった著名人

宣仁親王妃喜久子氏(皇族)

2004年12月18日 敗血症により逝去

宣仁親王妃 喜久子(のぶひとしんのうひ きくこ、1911年〈明治44年〉12月26日 - 2004年〈平成16年〉12月18日)は、日本の皇族。元華族。高松宮宣仁親王の妃。 旧名、徳川 喜久子(とくがわ きくこ)。徳川慶久慶久も有栖川宮織仁親王の曾孫に当たる。公爵令嬢。母は有栖川宮威仁親王の第2王女・徳川實枝子/實枝子女王。身位は親王妃。お印は初めがカメ/亀(かめ)、結婚後はナデシコ/撫子(なでしこ)。
1911年(明治44年)12月26日、誕生。母・實枝子は、有栖川宮威仁親王の王子女でただ一人、夭逝を免れた。
1912年(明治45年)4月12日、両親に連れられ舞子別邸(兵庫県)で静養中の祖父有栖川宮威仁親王の元を訪れると、威仁親王は当時唯一の孫である喜久子を「喜久女、喜久女」と呼び可愛がったため、威仁親王妃慰子/慰子妃の勧めで、夫妻はそのまま喜久子を舞子別邸に預けて帰京した#威仁親王行実(下) 1926/威仁親王行実(下) 1926 p.352。

ウィキペディアより)

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