亡くなった著名人
尾川正二氏(国文学者)
2009年3月5日 洞不全症候群により逝去 ニュースソース
尾川 正二(おかわ まさつぐ、1917年(大正6年)4月28日 - 2009年(平成21年)3月5日)は、日本統治時代の朝鮮/旧朝鮮生まれの国文学者である。
京城帝国大学国文科卒業。太平洋戦争の徴兵により1943年から日本の降伏/敗戦までニューギニアの戦い/東部ニューギニア戦線に送り込まれる。復員帰国後の1946年、父祖の地・広島市で療養。1947年から1955年まで山陽高等学校の国語教師を務める。当時の生徒には戦場体験を語ることはなかったという。
広島大学大学院国文研究科修了。後に芦屋市に転居。関西学院高等部の国語教師を務め、関西学院大学社会学部で「国語表現論」を講義する。
戦場での体験をまとめた『極限のなかの人間』で、1970年に第1回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。関西学院大学、桃山学院大学、梅花短期大学(現梅花女子大学短期大学部)教授を歴任した。
*『極限のなかの人間―極楽鳥の島』国際日本研究所・創文社、1969年
**『極限のなかの人間―「死の島」ニューギニア』筑摩書房・筑摩叢書、1983年
(ウィキペディアより)
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