亡くなった著名人
茂山忠三郎氏(狂言師)
2011年8月20日 結腸がんにより逝去 ニュースソース
茂山 忠三郎(しげやま ちゅうざぶろう)は、狂言大蔵流の名跡。当代で五世を数える。
(1813年12月2日(文化 (元号)/文化10年11月10日 (旧暦)/11月10日) - 1887年(明治20年)10月27日)
京都出身。茂山千五郎#八世/八世・茂山千五郎の弟子でのちに大蔵虎文の弟子となる
目が不自由であった。
(1848年12月14日(嘉永元年11月19日 (旧暦)/11月19日) - 1928年(昭和3年)8月21日)
京都小川上立売出身。本名は良豊。初世の三男で最初の名を吉次郎。
はじめ御所御用に従事していたが維新後西南戦争に従軍を経て商売などで東京に住んだこともあったが大阪に定住。
(1895年11月28日 - 1959年7月29日)
京都出身。本名は茂山良一。1900年「靱猿」の猿役で初舞台。1910年「三番叟」。1932年に茂山忠三郎襲名。
茂山 忠三郎(しげやま ちゅうざぶろう、本名:茂山 倖一(しげやま こういち)、1928年4月3日 - 2011年8月20日 時事ドットコム:大蔵流狂言師の茂山忠三郎氏死去)
(ウィキペディアより)
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