亡くなった著名人
登川誠仁氏(民謡歌手)
2013年3月19日 肝不全により逝去 ニュースソース
登川 誠仁(のぼりかわ せいじん、1932年11月18日 - 2013年3月19日 登川誠仁さんが死去 戦後沖縄を代表する民謡歌手 沖縄タイムス 2013年3月20日閲覧)は、兵庫県尼崎市生まれ沖縄県育ちの沖縄民謡を主とする歌手。三線の名手でもあり、琉球民謡登川流宗家、琉球古典音楽湛水流名誉師範である。愛称は小柄な体躯から「誠小(セイグヮー)」。また、早弾きを得意とし、かつてはエレキギターも演奏しており「戦後の数え唄」 - CD「青年時代の登川誠仁」、CD「チャンプルー・シングルスVol.2」収録参照。、撥ではなくピックで三線を演奏することから「沖縄のジミ・ヘンドリックス/ジミヘン」の異名を持つ。沖縄民謡界の重鎮。
「豊節」「戦後の嘆き」「新デンサー節」「緑の沖縄」など、作詞・作曲を多数手がけている。歌詞は一貫して沖縄方言/ウチナーグチにこだわる。楽器の工夫にも熱心で、三線の弦を2本ずつ6本にした六線やエレキ四味線(よみせん)を開発したり、ダンス/舞踊に用いられていた打楽器・三板を改良して民謡に取り入れた。
(ウィキペディアより)
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