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亡くなった著名人

楊絳氏(作家)

2016年5月25日 逝去 ニュースソース

楊 絳(よう こう、1911年7月17日 - 2016年5月25日)は、中国の作家・翻訳家。もとの名は季康。代表作に『幹校六記』『洗澡』『我們仨』。本貫は江蘇省常州府錫山区/無錫県で、1911年7月17日に順天府に生まれる。父の楊蔭杭は日本の早稲田大学の卒業生。1923年、父親に連れられ江蘇省蘇州市に引っ越す。1928年に蘇州東呉大学(現在の蘇州大学/台湾東呉大学)に入学し、1932年7月に卒業。卒業後北京清華大学に進学、在学中に夫となる銭鍾書と知り合う。1935年に結婚し、同年にイギリスやフランスへ留学した。1938年、銭鍾書を連れて帰国。上海震旦女子文理学院外語系教授、清華大学西語系教授を歴任する。1953年、北京大学文学研究所、中国科学院文学研究所、中国社会科学院外国文学研究所の研究員にも就任した。文化大革命から五七幹部学校に下放され労働に従事、文化大革命で受けた攻撃も激しかった。1981年、『幹校六記』を発表。1997年3月4日、彼女の娘の銭瑗が脊椎悪性腫瘍/癌で亡くなった。1998年12月19日、夫の銭鍾書が亡くなった。

ウィキペディアより)

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