亡くなった著名人
エティエンヌ・チセケディ氏(政治家)
2017年2月1日 肺塞栓症により逝去
エティエンヌ・チセケディ・ワ・ムルンバ(Étienne Tshisekedi wa Mulumba、1932年12月14日 - 2017年2月1日)は、コンゴ民主共和国(ザイール)の政治家。民主社会進歩連合(UDPS)党首。ルバ人。一貫して非武装の民主運動家として活動し、1991年、1992年-1993年、1997年の三度、ザイール共和国の国家第一委員(首相格)に就任した。息子は第5代コンゴ民主共和国の元首の一覧/コンゴ民主共和国大統領のフェリックス・チセケディ。チセケディは1932年、当時のベルギー領コンゴの東カサイ州・ルルアブール(現カナンガ)に生まれた。1960年にロヴァニウム大学に入学し、1961年にはレオポルドヴィル(現キンシャサ)にあるロヴァニウム大学の法科大学院を卒業した。1961年にEDNAの学長を務めた。1960年代から1970年代にかけてチセケディはモブツ政権に参加したが、1979年にモブツ政権を批判しはじめ、1980年には政府から放逐された。1965年には、、ジャスティン・ボンボコ、モブツ・セセ・セコらとを設立した。1967年にはザイールの憲法の立案に参加した。
(ウィキペディアより)
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