亡くなった著名人
加藤廣志氏(バスケットボール指導者)
2018年3月4日 肺腺がんにより逝去 ニュースソース
File:Kato hiroshi.jpg/right/thumb/200px/加藤廣志
加藤 廣志(かとう ひろし、1937年4月25日 - 2018年3月4日)は、秋田県山本郡藤里町出身の元高校教諭、バスケットボール指導者。秋田県立能代工業高等学校/能代工業高校バスケットボール部の礎を築いた名将として知られる。
能代工在学中は1年で創部以来初となる全国高等学校総合体育大会バスケットボール競技大会/インターハイを経験し、日本体育大学バスケットボール部/日本体育大学でも選手として活躍、選手時代のポジションはセンターだった。
卒業後は高校教諭となり、母校である能代工に保健体育教員として赴任するとともにバスケットボール部監督に就任。
4年目で10年ぶり2度目となるインターハイ出場に導き、以降全国大会の常連に定着。1967年には埼玉国体で初出場初優勝の快挙を成し遂げ、1970年にはインターハイ初優勝にも導いた。1975年には史上初となる全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会/春の選抜(現ウィンターカップ)も合わせた高校三冠、1985年にはインターハイ7連覇を達成。
(ウィキペディアより)
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