亡くなった著名人
小枝守氏(高校野球指導者)
2019年1月21日 肝細胞がんにより逝去 ニュースソース
小枝 守(こえだ まもる、1951年7月29日 - 2019年1月21日)は、日本の高校野球指導者。東京都生まれ。日本大学第三高等学校、拓殖大学紅陵高等学校野球部監督を歴任し、日本高等学校野球連盟技術・振興委員を務めた。
* 日本大学第三高等学校を経て、1974年3月、日本大学文理学部卒業。1976年から1981年まで日本大学第三高等学校野球部監督として日本の高校野球#全国大会/甲子園出場。1982年より、拓殖大学紅陵高等学校野球部監督を務め、同校を春・夏合わせて9回甲子園出場に導いている。
* 1992年の夏の甲子園(第74回全国高等学校野球選手権大会)においては、智辯学園和歌山小学校・中学校・高等学校/智弁和歌山、佐世保実業高等学校/佐世保実業、徳島県立池田高等学校/池田、尽誠学園高等学校/尽誠学園に勝利した。決勝では西日本短期大学付属高等学校/西日本短大付に惜しくも敗れたものの、準優勝を成し遂げた。また、同大会において初戦から準決勝まで4人の異なる投手が勝ち投手になるという長い甲子園の歴史の中でも史上初の快挙を達成した。
(ウィキペディアより)
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