亡くなった著名人
ブランコ・ラスティグ氏(映画プロデューサー)
2019年11月14日 逝去 ニュースソース
ブランコ・ラスティグ(Branko Lustig, 1932年6月10日 - 2019年11月14日)は、クロアチア出身の映画プロデューサー。
ユーゴスラビア王国(現・クロアチア)・オシエクでアシュケナジム/ユダヤ人の家に生まれる。第二次世界大戦中、ナチスによってアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所/アウシュヴィッツ、次いでベルゲン・ベルゼン強制収容所に収容される。戦後、彼と母親は解放されたものの、父親や祖母など多くの親族が犠牲になった。また、解放時、彼の体重はわずか66ポンドしかなかったという。
1955年、ザグレブの映画製作会社に就職し、映画製作の仕事を始める。1988年に渡米。
1993年、『シンドラーのリスト』を製作、第66回アカデミー賞/第66回アカデミー作品賞を受賞するなど高い評価を受けた。自身も冒頭シーンにウェイター役で出演している。2000年、『グラディエーター』でも第73回アカデミー賞/第73回アカデミー作品賞を受賞した。
2000年代は主にリドリー・スコット監督作品をプロデュースしている。
(ウィキペディアより)
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