亡くなった著名人
児玉弘義氏(プロ野球選手)
2009年2月5日 脳梗塞により逝去 ニュースソース
児玉 弘義(こだま ひろよし、1942年3月13日 - 2009年2月5日)は、兵庫県津名郡津名町出身のプロ野球選手(捕手)・プロ野球コーチ/コーチ。
兵庫県立津名高等学校/津名高校卒業後、1960年に大阪近鉄バファローズ/近鉄バファローへ入団。
1961年10月14日のオリックス・バファローズ/阪急戦(藤井寺球場/藤井寺)に8番・捕手で一軍初出場を果たし、初安打も記録。
1963年から試合出場数が増えたが、吉沢岳男の存在もあって2番手の起用が続いた。
1964年8月6日の北海道日本ハムファイターズ/東映戦(日本生命球場/日生)では途中から吉沢に替わってマスクを被り、嵯峨健四郎から初本塁打を放つ。三原脩が監督に就任した1968年に初めて正捕手の地位を獲得した。
1969年には岩木康郎にその座を奪われて再び2番手となる。
1970年には辻佳紀の加入で3番手となる。
1971年には規定打席不足ながら自己最高の打率.326を記録。
(ウィキペディアより)
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