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亡くなった著名人

茨木のり子氏(詩人)

2006年2月19日 逝去

茨木 のり子(いばらぎ のりこ、本姓・三浦(みうら)、1926年(大正15年)6月12日 - 2006年(平成18年)2月17日)は、日本の詩人、随筆・童話・脚本も執筆。
主な詩集に、『見えない配達夫』(1958年)、『鎮魂歌』(1965年)、『自分の感受性くらい』(1977年)、『倚(よ)りかからず』(1999年)など。
大阪回生病院で、宮崎洪(ひろし)、勝の長女として生まれる。1937年12月、母、勝が結核で死去。のり子11歳。小学校5年生の日であった。
1939年、愛知県立西尾高等学校/愛知県立西尾高等女学校(現・西尾高等学校)入学。卒業後上京し、帝国女子医学・薬学・理学専門学校(現・東邦大学)薬学部に入学する。19歳の時に終戦を迎え、1946年に同校を繰り上げ卒業。薬剤師の資格を得た。ただし、「年譜」によれば、「かなりの劣等生、そのうえ、空襲下、逃げまどうばかりの学生生活だったため、みずからを恥じ、以後薬剤師の資格は使用せず」と記している。

ウィキペディアより)

茨木のり子氏のお墓(山形県鶴岡市 淨禅寺)

※ピンの位置は目安です。参拝の際は必ずご自身で詳細な場所をお確かめください。

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