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亡くなった著名人

平岡敏夫氏(国文学者・詩人)

2018年3月5日 肺不全により逝去 ニュースソース

平岡 敏夫(ひらおか としお、1930年3月1日 - 2018年3月5日)は、日本の日本近代文学研究者。筑波大学・群馬県立女子大学名誉教授。
香川県仲多度郡広島村(現丸亀市)生まれ。1945年大津陸軍少年飛行兵学校卒、1954年香川大学学芸学部国語科卒、愛媛県川之江市立金生中学校教諭、1956年東京教育大学大学院入学、吉田精一に師事、1962年同博士課程単位取得満期退学。東京都立一橋高等学校教諭、1966年大東文化大学専任講師、1967年東海大学助教授、1968年横浜国立大学教育学部助教授、1975年教授、1976年筑波大学文芸言語学系教授、1982年「北村透谷研究」で筑波大学文学博士。1988-1992年筑波大文芸言語系研究科長、1992年定年退官して群馬県立女子大学学長を1998年まで務める。
北村透谷や夏目漱石を研究対象とする。『坊っちゃん』論では佐幕派が敗れる物語を読み込んだ。主著は『日露戦後文学の研究』。2006年、小林信彦の『うらなり』に対する怒りを詩集『明治』で表明。同年、瑞宝中綬章受章『官報』号外252号、平成18年11月6日。

ウィキペディアより)

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