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亡くなった著名人

松田恒次氏(実業家)

1970年11月15日 逝去

松田 恒次(まつだ つねじ、1895年11月24日 - 1970年11月15日)は、大阪府大阪市出身の実業家。
東洋工業(現マツダ)3代目社長。実父は東洋工業創始者の松田重次郎、息子にマツダ4代目社長の松田耕平。自身から孫の松田元と3代続けて広島東洋カープオーナーである。
1895年、大阪市の天満橋筋で鉄工所を営んでいた父松田重次郎、母千代の長男として生まれる。重次郎が造船技術者として呉市/呉や佐世保市/佐世保など各地の海軍工廠で勤務したため、幼少期は大阪で祖母に育てられていた。
重次郎と同様に機械好きで、学校から帰ると重次郎の経営する鉄工所で手伝いをしていた。1911年、大阪市立都島工業高等学校/大阪市立工業学校に入学、野球部に入った。卒業後1915年、大日本帝国陸軍/旧陸軍宇治火薬製造所に就職。1921年に重次郎は大阪から故郷の広島に帰っている。1927年、父・重次郎が広島で経営する東洋コルク工業に入社、工務係に配属。同年、社名は東洋工業に変更された。1951年12月、東洋工業社長に就任。

ウィキペディアより)

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