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レッド石黒さんの一般公開遺書一覧RSSフィード

レッド石黒さんの遺書

1Q86年のマリリン

マリリン・モンローが生まれて暦が一回りした1986年。
85年のプラザ合意を経て、いわゆるバブル経済が本格化していった年。
おニャン子ブームはピークに達し、芸能界の生態系もまた大きく変わろうとしていました。
その「変化」が決して前向きな変化ではなく、何かおかしな「ねじれ」のように感じるきっかけとなったのはその年の4月8日です。

ホンダの下請けの自動車絶望工場で、いつもと何ひとつ変わらないラインに入り、黙々と絶望的な作業を繰り返していたその日。
10分間の休憩時間に皆が集まるテーブルで、年配の鈴木さんがとんでもないことを口にしました。

「岡田有希子がビルから飛び降りたって」

バカなことでもしゃべってないと、長い1日をやり過ごすことのできない職場だったので、仕事中とんでもないことを言い出す人はたくさんいました。
「昨日松田聖子が夜這いに来た」とか「中森明菜とベロチューした」とか。
最初のうちは話に乗っていってたのですが、だんだん面倒くさくなって、その頃はただただ苦笑するだけになってました。
なので鈴木さんがそんなことを言い出した時もあまりまともにとりあわなかったことを今でも憶えています。
もちろんそれを憶えているのは、仕事が終わってから嘘じゃないことがわかって、ただならぬ衝撃を受けたからです。

その後週刊誌は、アイドルの自殺をお決まりの失恋にフォーカスしてとりあげていました。
しかしそんな一元的なことじゃないと感じていた人はたぶん多かったと思います。
現に50人以上が後追い自殺をし、衆議院文教委員会で取り上げられるほどの社会問題になりました。
感受性が人一倍強かった彼女には、ひょっとしたら月がふたつ見えていたのかもしれません。

それから14年経った2000年、デビュー以来彼女のマネージャーを勤めていた溝口伸郎が突然首吊り自殺をしました。
サンミュージック前の路上で人だかりに晒されていた岡田有希子の死体に毛布をかぶせてあげてた人です。
原因は謎のままですが、因縁めいたものを感じずにはいられませんでした。

2005年には岡田有希子と堀越学園で同級生だった本田美奈子が白血病で死去。
表題のとおり、彼女は1986年を歴史に刻印した張本人です。

2008年、当時岡田有希子の恋愛対象として報道されていた峰岸徹が肺がんで死去。
まだ記憶に新しいこの時に、岡田有希子のことを思い出した人はたくさんいたと思います。

そして2009年。
1986年にドラマでデビューを果たし、先輩の岡田有希子同様にサンミュージックの相沢社長宅で下宿生活をし、岡田有希子亡き後自ら命を絶つまでの14年間、溝口伸郎がマネージャーを勤めた酒井法子が失踪。
当時を知る誰もが不吉を感じ、無事を祈らずにはいられなかったはずです。

そんな彼女が月の二つある世界を生き延び、5日間の空白の後、こうして我々の住む現実の世界へと戻ってきてくれました。
1Q86とともに、碧いうさぎはもうひとつの月に封印されたのかもしれません。
だとしても、今この世界に間違いなく彼女が存在していること、そしてこの現実世界の原理の中で、彼女がこれからも生き抜いていってくれる可能性が残されたことを、今は何より嬉しく思っています。



岡田有希子はなぜ死んだか
http://www.geocities.co.jp/MusicStar/5988/naze-old.htm

相澤家からみたユッコ
http://www.geocities.jp/modoco39/yukko7.html

2009年8月9日レッド石黒

レッド石黒さんは現在存命中です。レッド石黒さんの一般公開遺書アーカイブはこちらです。

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