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レッド石黒さんの遺書

背番号「3」よ永遠に

永久欠番にするのしないのって署名活動まで起こって、森野も一時は継承することが報道されたものの悩んだあげく返上して、結局1年間球団預かりとなった中日ドラゴンズの背番号「3」。
自分的には、高木守道の「1」だって永久欠番になってないんだから、別に遠慮なく使えばいいのにって思ったりします。
立浪本人としてはどうなのかな。
経営者だったら自分の引退後、会社を受け継ぐ人がいないのは寂しいものだと思うんだけど、それとこれとはまた違うんだろか。
楽天は10人目の選手ってことでファンのために「10」を欠番にしてるらしい。
そういうののほうがなんかいいなって思います。

それはさておき、選手としての生涯を22年間ドラゴンズで貫き通した立浪とは対極的に、たったの1年つけてただけにもかかわらず忘れられない背番号「3」と言えば1977年に来日した助っ人、ウィリー・デービス。
あの狭いナゴヤ球場で放った奇跡の満塁ランニングホームランは、今でもしっかり目に焼き付いています。
巨人戦だったし、中日ファンじゃなくても憶えてる人たくさんいるんじゃないだろか。
実績以外にも高木守道と犬猿の仲だったり、シーズン中トラブルが絶えず、とにかく話題が豊富でマスコミの格好の餌食だった。
「中日首脳はデービスが在籍することによるマイナス面が大きすぎるとして放出を決定」ってウィキペに書かれるほど。
あれだけ活躍したのに「マイナス面が大きすぎる」ってすごい言われようだな。
今思えば塁間13秒の快足で、まさに疾風のごとくドラゴンズを駆け抜けた怒濤の外人選手でした。

会社が経営者ひとりのものではないように、背番号だってそれをつけてる選手だけのものではない気がします。
またそれは、こういうものだ、と誰かが勝手に規定できるものでもない。
いろんな人たちのいろんな記憶が詰め込まれた、人それぞれの宝箱のようなものなんじゃないでしょうか。
昨日69歳で生涯を終えたデービスの懐かしい映像を見ながら、ふとそんなことを思いました。
きっと天国への階段もものすごい快足でとばしてるんだろうな。
合掌。

2010年3月10日レッド石黒

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