レッド石黒さんの遺書
オグリがいた25年
先日めでたく45歳になりました。
信長的に言えば人生あと5年。
成人してから早、四半世紀が過ぎたことになります。
オグリキャップが生まれたのが1985年の3月27日。
ちょうど自分が20歳になった年。
もちろんその当時は知る由もなかったのですが、87年のデビューから90年までの4年間、世のバブル景気とあいまって、一大競馬ブームの中、怒濤の活躍を見せてくれた芦毛の怪物。
市丸博司氏の言葉を借りれば、「競馬ファンにもたらした感動は、恐らく同時代を過ごした者にしか理解できない」だろうし、「地方出身の三流血統馬が中央のエリートたちをナデ斬りにし、トラブルや過酷なローテーションの中で名勝負を数々演じ、二度の挫折を克服」したその姿は、地方に生まれ育った自分に勇気と希望を与えてくれました。
20年前、彼の引退レースを観て、自分も中央(東京)に転厩(引っ越し)を決意。
彼の競走馬人生と同じ4年間を中央で過ごしました。
しかし自分はやっぱりオグリにはなれませんでした。
頭をうなだれて帰郷すると、そこで待っていてくれたのはライデンリーダー。
一生懸命応援しました。
昨年たまたま笠松の仕事をするようになって出会ったラブミーチャン。
これまた一生懸命応援しました。
たぶんそれは自分の叶わなかった夢をオグリ同様のアルゴリズムを持つ彼女たちが実現してくれると信じ、懸命に願ったからに他ならないと思います。
2010年7月3日。
放牧中の右後肢骨折によりオグリキャップ安楽死。
芦毛の怪物、25年の生涯が静かに幕を閉じました。
今日から9日まで、笠松競馬場ではオグリキャップ像の前に献花台が設けられるようです。
自分自身の四半世紀の総括も含めて、この機会に足を運んでみようかと思っています。
引退レースとなったあの有馬記念から20年。
もう20年も経つのに、あの時の2分34秒2のことは今でも鮮明に憶えてる。
レース前のヤエノムテキの放馬とレース後の鳴り止まぬ「オグリ」コールも。
たぶんこの記憶は自分がどれだけ老いぼれようと、死ぬまで上書きされることはないんだと思います。
オグリが授けてくれた生きる力として。
合掌。
2010年7月4日レッド石黒
※レッド石黒さんは現在存命中です。レッド石黒さんの一般公開遺書アーカイブはこちらです。
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