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レッド石黒さんの遺書

スラバヤ通りの妹へ

先日インドネシアの女の子たちと話をする機会があり、その間個人的な脳内BGMはユーミンの「スラバヤ通りの妹へ」でした。

1981年にリリースされたこの曲には一節だけインドネシア語が含まれています。
家に帰ってから歌詞の中に出てくる

♫ RASA SAYANG GHE〜

の意味をちょっと調べてみたところ、「SAYANG」という言葉はとても奥深いことに気づきました。
「愛おしい」「かわいそう」「残念」「もったいない」など、多くの意味を含み、日本語でドンピシャ当てはまる言葉はないように思います。

♫ やせた年寄りは責めるように 私と日本に目をそむける

から続くユーミンの歌詞は、単純な愛おしさだけではない、歴史に裏打ちされたなんとも伝えようのない感情を含んでいるのかもしれません。

太平洋戦争自体は、否定的に捉えられてしかるべきものだと思うのですが、ことインドネシアに関してはちょっと複雑な気もします。
少なくとも当時陸軍中将として現地を指揮していた今村均について、悪し様に書かれた文献は見たことがありません。
インドネシア独立の闘士スカルノが、戦後国際軍事裁判にかけられている今村を何としても助けようとしたエピソードや、現地に残って独立戦争を支援した日本人義勇軍のことなど、アジアの人々から唾を吐きかけられてしかるべき我々日本人にとって、数少ない救いであるような気がします。

何にせよ戦後63年、ジャカルタとバンドンで28年前に生まれたという彼女たちの底抜けの明るさに、RASA SAYANG GHE の「その次を教えてよ」と訊ねる暇もなく、楽しい余韻だけが残った8月の熱帯夜でした。

ちなみに元歌と思われる「RASA SAYANGE」はYoutubeにいろんなバージョンがアップされてます。
ユーミンのなんともせつない曲調とは裏腹に、アジア人の持ち前の明るさが伝わってくるとてもノリのいい曲です。

2008年8月4日レッド石黒

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