レッド石黒さんの遺書
仰げば尊し
卒業シーズン。
もともと「先生」と呼ばれる人種の人たちのことが昔からあまり好きではなかったけど、最近の学校の先生についてはちょっと不憫に感じることが多い。
いじめやら自殺やらでろくな取材もないままスケープゴートにされたり、一般人だったらとりたてて騒がれない程度の犯罪を先生やってるってだけでさも大げさに実名報道されたり。
政治家や官僚や警察みたいに暴力装置を操作できるポジションにいる人たちのことだったら、我々はそんなんでしか対抗できないからわけが違うと思うけど、今どき教師なんて何も持ってないじゃん。
広告出稿や記者クラブに影響がないからって、よってたかって叩くのはなんかみみっちいよなあ。
これまで学校教育を受けてきた中で、こんな自分でも比較的かわいがってくださった先生が約2名いらっしゃる。
そのうちのおひとりが最近亡くなったと、昨日古い友人から連絡をもらった。
もともと不義理な人間なんで、顔も見せなきゃ年賀状も出してない。
なんの恩返しもしなかったなあ、とせつない気持ちになりながら、でもよくよく考えてみると、たまに顔出したりまめに年賀状送ってたところで、今感じてる気持ちは変わりようがない気もした。
その先生のことが書いてあるブログなどのURLを友人が送ってくれたんで、いろいろ読んでみて、そう言えばこんなようなこと言ってたなあ、なんてあらためて思い出した。
思い出しながら、待てよ、と一瞬思考が止まった。
例えばこのbochiのキャッチ、「過去と未来をつなぐ場所」っての。
これって「過去を知らないものは現在のこともわからない。学問の使命は人の命を守ることである」って先生の言葉を聞いてなかったら考えもしなかったよな、とか。
そもそもインターネットに興味持ったのも「活字になって残ってる言葉で本当の歴史はわからない」って先生が言ってて、名もない人の声が聞けるこのメディアに惹かれたんだよな、とか。
あるいはたまに企業さんでやらせてもらってる講習なんかでも、先生が定時制で教えてた頃を振り返りながら「仕事で疲れて寝てる生徒を起こす学問じゃなきゃ意味がない」って言ってて、その気概だけは無意識にいつも感じてたりとか。
今ぜんぜん違う仕事してるけど、思えば先生の影響けっこう受けて知らない間にそれちゃんと活かしてるじゃん、って。
間抜けだけど今頃気づいた。
そんでもってちょっとだけ救われた気分になった。
そうだ、これからも先生に教えてもらったことを仕事や日々の生活の中でちゃっかり活かしていこう。
でもってそれが自分にできる目一杯の恩返しだと都合よく納得することにしよう。
そうしよう、そうしよう。
勝手だけどあの先生なら「はっはっはっ、石黒君らしいですなあ」と笑って見逃してくれそうな気がするんで。
卒業生諸君。
出会った教師を評価するのは、今はしばし置いときましょう。
あなたたちはこれからもっともっと成長するし、まして教師に対する社会的な評価などあなたたちには微塵も関係ありません。
今はイケメンの素敵な先生だと思ってても、何十年かしてさっぱり忘れてたらそれだけの出会いだったわけだし、今はけがらわしい先生だと思ってても、何十年かして受け継いでるものがあればそれは大切な出会いだったと気づく時がくるはずです。
だからとりあえず別れ際はひと言だけ。
「いざさらば!」
2011年2月24日レッド石黒
※レッド石黒さんは現在存命中です。レッド石黒さんの一般公開遺書アーカイブはこちらです。
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