ekkoさんの遺書
運転一筋の父とご苦労様の旅。
昨日は、父の日。私は・・・旅行に行っていました。
実家の父と母と妹と私・・・子供たちは、旦那さんと義父・義母にお願いして19、20日と飛騨高山に出かけてきました。
妹と私で・・・お金を出しあい(ほとんど、妹ですけど )父の日と、定年退職も兼ねての旅行となりました。
何日も前から、天気予報は雨 のマーク。
車 で行くので、傘や着替えなどをたくさん用意していったのですが・・・ありがたいことに、まったく使うことなく旅は無事に終了しました。
飛騨高山へは、私たちが小さい頃にも何回か訪れている場所。
特に、うちの父にとっては、仕事でも何度も何度も来ている場所でした。
「ここも、降ろしに来たことがある。」
「ここも、冬は雪 がすごくてチェーンを巻いて大変だった」
「この角を曲がったところに、スタンドがあるはずだ」
旅行に来て、父の会話はほとんどが、こういった話でした。
父は、千葉県八千代市の出身です。
中学卒業後に、名古屋に就職のためやって来たそうです。
最初は、ニチレイで働いていたと聞きましたが、何をしていたのかは、あまり知りません。
私たちが知っている父は、タンクローリーの運転手。
40数年もの間、タンクローリーや大型のトレーラーで、ガソリン・灯油やコンテナを運び各地を飛び回っていたのです。
とくに、事故を起こしたという訳でもなく、病気をして休むということもほとんどなく・・・ずっとずっと、運転し続けていた父。
長い休みになったら、助手席に乗せてもらうのが、すごくうれしかったのを覚えています。
だって、タンクローリーから見る景色は、他の車 とは別世界で、周りの車が小さく見えたり前方の山 などが、くっきり見えたり・・・。
地元の名古屋を離れて、夏は涼しさを感じたり、冬はたくさんの雪 を見たりできました。
なかなか行くことができない、憧れのタレントさんの出身地や住む街(東京方面)へ連れて行ってもらったときには、それだけで近づくことができた気がしましたから・・・
残念ながら、うちの子供たちは車 が苦手です。
私と同じ体験を、うちの父がバリバリ働いているうちに・・・やらせてあげたかったのが本音です。
私は、いろいろな所へ連れて行ってもらって、考え方が変わった気がします。
ちっぽけなことで、悩むのはやめよう・・・とか、心が大きくなったというか・・・。
道路って、ずっとずっとどこまでも続いているから、ここまで行くと終わりってことがないし、もしダメで失敗しても道路がつながっているから、どうにか帰ってこれる・・・そんな大きな気持ちになれるんです。
うちの子供たちは、2人ともちっぽけなことを気にするし・・・悩んで体調崩したりするから・・・
最後に、40数年間・・・本当に本当にお疲れ様でした。
私たちは、あなたの運転技術でここまで成長させてもらいました。
孫をローリーやトレーラーに乗せてもらうことはできなかったですが、いつか一緒に旅ができるように、なれるといいなぁ~と思っています。
これからは、何か趣味を見つけるなどして・・・元気で長生きしてください
ご苦労様でした。ありがとうございました。
2010年6月21日ekko
※ekkoさんは現在存命中です。ekkoさんの一般公開遺書アーカイブはこちらです。
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