悪狗陀 狸人さんの遺書
ヨブ久
1月末日。
ポップカルチャーの目利き、
エディター川勝正幸氏が亡くなったのをツイッターで知った日、
立川談志追悼上映会では、談笑が『富久』を演っていた。
『富久』は富くじを買った太鼓持ち、久蔵の物語で
噺をまわす重要な要素のひとつに江戸の火事が出てくる。
しかし、まさか川勝さんが火事で亡くなるなんて一体誰が想像しただろうか。
「人は簡単には死なない、
が、また生き物は理不尽に死んでゆくのものでR」
というのが我が師の教えであるが、
人生も半分を過ぎると、いささかこの言葉に感じることが多い。
死は誰のもとにも等しくやってくる、と思う。
ゆっくり歩んでくる時もあれば、
突然あらわれる時もあるだろう。
最近、観た映画の話だけど、
映画『エンディングノート』で家族に看取られて逝く
末期がんの砂田サンのお父さんにも、
映画『監督失格』で突然死したAV女優、林由美香嬢にも、
死は等しく存在する。
この2作品は、並べて観ると興味深い。
どちらの死が幸せだったかとか、残酷だったかとか、
人は勝手な生き物だから人の死についてあれこれ言ったりする。
死は至極プライベートなことで、
まったく主観的なことだと思う。
またまた映画の話で恐縮だが、
コーエン兄弟の映画『シリアスマン』(2009)の冒頭には、
ユダヤ教の聖書学者のこんな言葉が出てくる。
「身に降りかかること全てをありのままに受け入れよ」。
『シリアスマン』の背景には、
旧約聖書の「ヨブ記」の物語があるそうだ。
敬虔なユダヤ教徒が実人生でヒドいめに遭っていく、
ただそれだけのストーリー。
高僧になぜだか尋ねても、誰も何も答えてはくれない。
「ヨブ記」のヨブ、主とサタンに翻弄される。
主はヨブを徒らに試してボロボロにしておいて、
最後には施しを与える。
まあまあ、誤解を怖れず申し上げるなら
「主」なんてそんなモノかもしれない。
談笑流『富久』も仕事をクビになったり、
火事にあったり、当たってるはずの富くじを失くしたり、
ヒドいめに遭う。
それでも「身に降りかかること全てをありのままに受け入れよ」
というのか?
『富久』の噺にもどろう。
談笑流『富久』のサゲは一風変わっている。
果たして、千両の富くじが当たった久蔵はこう言う。
「いえ、大神宮様の罰(バチ)が当たったんです。
私は幇間(たいこ)持ちですよ。
バチが当たればいい音(値)が出ます」
談笑師匠のサゲはとってもカッコいいと思った。
久蔵は太鼓持ちのまま。
ヨブはヨブのまま。
ヨブも久蔵も同じ。「ヨブ久」ってことじゃん。
古典は西洋も東洋も、結局言ってることは同じだった!
ってことですよね?
2012年2月1日悪狗陀 狸人
※悪狗陀 狸人さんは現在存命中です。悪狗陀 狸人さんの一般公開遺書アーカイブはこちらです。
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